関電は東日本大震災直後は、地元の住民や自治体に「過去に津波が起きた可能性は低い」と説明してきており、調査には否定的でした。しかし、国の防災会議の提言で、これまでの方針を転換し、見直すことにしたものです。
東日本大震災のあと日本の中世の歴史を研究している敦賀短期大学の外岡慎一郎教授が調べたところ、京都の神社に伝わる「兼見卿記」という文書に、天正13(1586)年に起きた「天正大地震」で、若狭湾を含む沿岸で波が起こり、家が流され、多くの人が死亡したという記録があることが分かりました。
また当時、日本に来ていたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが書いた「日本史」の中でも同じ天正大地震の記述として、若狭湾と見られる場所で「山と思われるほどの大きな波に覆われ、引き際に家屋も男女もさらっていってしまった」と記されていることが分かりました。
これらの資料は、国史の編纂にも使われる歴史資料としては一級のもので、NHKの取材に対し、関西電力は、昭和56年には2つの文献の内容を把握していたが、信ぴょう性がないと社内で判断し、住民や自治体には、津波による大きな被害の記録はないと説明してきたことを明らかにしました。そのうえで、これまでの説明が誤解を招くものだったとして、文献の記述のような被害が、大きな津波で起きたのか調べるため、ボーリング調査など科学的な調査を行うことを検討すると明らかにしました。
関電美浜原発に隣接する敦賀市の河瀬一治市長は「文献に基づいての調査も進め、安全対策を検討してほしい」としています。
不思議なのは、電力会社は、なぜ調査を嫌がるのでしょう。過去に大きな津波が襲ってきたという証明がなされたら、原発の稼動に反対すると思ったのでしょうか。まさに猿知恵です。津波が襲ってきたときにどう対応するのか、危機管理がちゃんと出来ていれば、住民も納得します。今回の東京電力のような危機管理がまったくなされていないと、住民は不安な思いをつのらせ、反対するのです。英知を集めて、手抜くことなく、しっかりやってほしいものです。
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