応神天皇陵への研究者の立ち入り調査は「一歩前進」となったかという質問に対し、森氏は、16の団体が参加したというが、本当の“考古学のプロ”は2つか3つではないかといいます。
また、森氏は、「中世には天皇陵で祭祀が行われていた形跡なはい。誉田山古墳の場合、幕末の修理まで後円部のてっぺんに六角堂があり、そこへ昇る石段や石灯籠があった。参拝者はごく当たり前に墳丘の中へ立ち入っていたわけで、今さら、『静謐に』といわれても説得力に欠けるだろう」と言います。
宮内庁が管理する天皇陵の中には近年の成果によって、実際の被葬者が異なるというケースもあり、「古代の天皇陵で過去に指定が変えられたのは明治14年の天武・持統天皇陵1例だけで、宮内庁は疑いが濃厚になっても、かたくなに指定を変えようとはしない。問題なのは、“真の天皇陵”が(宮内庁の指定をうけていないがゆえに)すでにさんざん発掘されてしまっていることだ。本当に、『天皇家の先祖のお墓』として大切にお守りする気持ちがあるのなら、最新の学問成果に沿って指定替えをすべきではないかとも語っています。
「たとえば、百数十年間“手つかず”の状態にあった天皇陵には昔の地震の痕跡がが残っている。これは地震考古学といった分野の研究者には格好の研究材料になるだろう。『こういう理由でぜひ墳丘を見せてほしい』と強い要望を出していけば、状況も変わるのではないか」と述べていますが、若干遠慮気味のように思えます。
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