2011年8月18日木曜日

日本人の危機管理意識(2)

 昨日からの続きです。 

もう一人は、建造当時に大和の副長であった砲術の専門家の黛治夫氏(18991992)です。黛氏は「過去の教訓から見て、大和にはさらに沈みにくくするために、何度も具体的な提案を行ったが、取り上げてもらえなかった。最後には、専門家が完全な設計をしているのだから、口を出すな、資材もない、と言うようなことを言われた」と、大和の沈没を悔やんでいたそうです。

 戸高氏は、「2人の話には、安全を考えるときに学ばなければならないことが多い。日本人の技術意識には完璧を求める傾向が強くあり、無論その完璧を求める思いが、常に世界有数の成果を挙げてきたことも事実だが、ことトラブルに遭遇したときには大きな落とし穴がある。思いもよらないような、あらゆる形の事故の想定をすることこそが、事故回避の第一歩であるということを、あらためて教えられたのが今回の災害だと思う」と述べています。

しかし、今回の原発事故の場合は、このような事例を出す必要もないくらいに次元の低い事故、次元の低い対応だったように思います。以前、故西堀栄三郎氏が、「人間の考えることは、所詮知れている。いくら考えたつもりでも思いもよらぬことが起こる。問題が起こったときにいかにすばやく対応するかにその人の能力がかかっている」と、語っておられました。日本人は、再度、明治維新に戻って、やり直す必要があるように思います。

日本の経済状況、政治を見ましても、専門家がやってくれるから大丈夫と思っていましたら、どうやらそのひとたちは、明治維新から日本の土台に巣食っていたシロアリのような気がします。

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