2011年11月27日日曜日

佐野眞一の津波と原発(4)

 わが国の地震・津波研究の草分け的存在の今村明恒は、津波は高い風浪ではなく、陸地への一時的な「海の移動」だと述べています。今村は1899年に、津波は海底の地殻変動を原因とする説を提唱しました。現在では広く受け入れられている説ですが、発表当時はほとんど受け入れられませんでした。

今村は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想し、1905年に、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告し、新聞にセンセーショナルに取り上げられて社会問題になってしまいました。上司であった大森房吉らから世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷されました。しかし18年後の19239月1日に関東大震災が発生し、今村の警告が現実のものとなりました。

1925年に但馬地震、1927年に北丹後地震が発生し、次の大地震は南海地震と考えた今村は、これを監視するために1928年に南海地動研究所(現・東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立しました。地震予算を分捕ろうとする今の学者とは大違いのようです。今村の予想通り1944年に東南海地震、1946年に南海地震が発生しました。東南海地震後には南海地震の発生を警告したものの、被害が軽減できなかったことを悔やんだと言われます。

海の水深が浅くなって津波のスピードが落ちてくると、津波の山と山の間が次第に縮まり、前を進む波に後ろの波が次々に追いつき、折り重なってすさまじいエレルギーとなります。

さらに、それがV字形の湾に入ると、前後からだけではなく左右からも圧縮されて急速に波が高くなり、それがそのまま陸地に駆け上がります。

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