2011年11月29日火曜日

佐野眞一の津波と原発(6)

 ――今回の災害のテレビ報道では、東京大空襲の後のような映像が毎日流されました。山下さんは釜石が、米軍の艦砲射撃で焼け野原になったのを覚えているそうですが、それと今回の災害と比べてどうですか。

 「どっとがどっちとも言えないけど、残骸の多さでは津波の方がひどいんじゃないかな。戦争のときはわりとさっぱりしていた」

 ――えっ、さっぱり?

 「戦争は敵の正体わかっているじゃない。でも、津波は正体が分からない。戦争より津波の正体の方がわかっているじゃない。だから今度こそ、津波の正体を身届けてやる。そう思って、最後まで目をそらさなかった」

津波が来たときに、山下の病室には、たまたま巡回診療中の副院長がいた。山下はその副院長に「写真を撮れ!」と言った。さすが津波研究の鬼である。山下に命じられて病室から撮られた迫力あるそのカラー写真は、「岩手日報」の319日付紙面を飾った。

この副院長の妻は津波で行方不明になり、副院長はそのストレスで入院した。妻の遺体はその後、4月になってから見つかった。

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