「36人乗りの大型ヘリだった。中にはちゃんと医務室みたいなものまであった。僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。
とにかく、僕の孫のような若い隊員が、僕の冷え切った身体をこの毛布で包んでくれたんだ。その上、身体までさすってくれた。病院でフルチンにされたから、よけいにやさしさが身にしみた。僕は泣いちゃったな。鬼の目に涙だよ」
山下はそういうと、自分がくるまった自衛隊配給の茶色い毛布を、大事そうに抱きしめた。
山下はその毛布を移送された花巻の病院でも、ホテルでも子供のように握りしめて放さなかった。
「この毛布は、運ばれた花巻の病院の毛布よりずっと暖かいからね。ところが、花巻の病院を退院するとき、それはこっちにおいていきなさい、と言われた。でも、看護婦長がもらったものを取り上げることはないと言ってくれたおかげで、ここにもってこれた」
自衛隊の対応がよほどうれしかったのか、山下はもう一度毛布をしっかり抱きしめた。山下は今回の災害で初めてわかったことがあったという。
「好きで入ったわけでもない花巻の病院から請求書がきたんだ。配給された備品は病院がくれたとばかり思っていたら、実は買わされていたんだ」
――それはひどい話だ。
「これは佐野さんの仕事だ。証拠の請求書の写しをあげるから、このことはぜひ書いてよ」
そう言って山下がくれた東和病院売店からの請求書には、オムツ、尿取りパッド、おしりふきなどの品目が細かく書かれた、合計1万5659円が品代として請求されていた。
タオルなどの身の回り品ならともかく、介護に必要なこうした品々の代金まで請求するのは、災害救援医療の基本精神から言って確かに問題だろう。
「要するに菅直人はじめみんなが混乱して、今回の大震災に誰も正しく対応できていないんだ」と言った。
――今回の大震災から一番学ばなければならない教訓は何だと思いますか。
「田老の防潮堤は何の役にも立たなかった。それが今回の災害の最大の教訓だ。ハードには限界がある。ソフト面で一番大切なのは、教育です。海に面したところには家を建てない、海岸には作業用の納屋だけおけばいい。それは教育でできるんだ」
――つまり日本人の防災意識を根本から変えなくちゃいけない。
「反省しなきゃならないのは、マスコミの報道姿勢だ。家族のことが心配で逃げ遅れて死体であがった人のことを、みんな美談仕立てで書いている。これじゃ何百年経っても津波対策なんかできっこない」
津波による溺死者の死の形相を「溺鬼」と表現した碑があることはあとで知った。
山下自身も明治大津波では一族9人が溺死し、昭和大津波には9歳のとき遭遇して危うく溺死を免れている。「津波だ!逃げろ!」の声を聞いたのは、寝ぼけながら小便をしていた最中だった。
山下はこのとき小便の途中だったから、下半身素っ裸で逃げている。生涯で2度目の津波に遭った今回もフルチンで助けられていることを思えば、不思議な暗合を感じる。
山下の綾里の家は、明治大津波にも昭和大津波にも流されなかった。だが、今回の平成大津波は、高台にある家の屋根を越え、明治19(1886)年に建てられた家はついに流された。
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