同寺によると、天平時代の大仏造営の際、宮城県湧谷町から献上された砂金が、大仏に渡金されるなど、同県と縁が深いといいます。鍍金には、大量の金が使われましたが、その一部が湧谷町から来たとは知りませんでした。宮城の金が発見されたのは、平安時代以降かと思っていました。湧谷町の砂金が使われたのは、鎌倉時代の重源による再興のときかも分かりません。
この日、奈良市内で会見した同寺の北河原公敬別当は、「千年に一度ともいわれる広範囲な災害であり、借財して義援金を届けることにした。被災地で被害を受けた文化財の修復にも役立てていただければ」と話しました。多くの寺社仏閣があるなかで、銀行から借金までして義援金を供出するとは、さすがと思います。これらの義援金が早く必要な人のところに届くことを祈ります。
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