2011年6月20日月曜日

過去の地震の教訓(1)

 津波災害史研究家の山下文男さん(87)は、津波がきたら人に構わず逃げろと言っています。たとえ肉親であってもと強烈です。

山下さんは9歳だった昭和8年に、この大津波で被災しました。2万人以上の犠牲者を出した明治29年の三陸津波で母親と妹を亡くしていた山下さんの母親は、幼い山下さんに構わずに一目散に逃げ出したといいます。

岩手県旧田老町(現・宮古市)では、大津波対策の研究を重ねてきました。同町がかつて作成した防災CMの解説文にはこうあります。

 語り継いでないために繰り返し同じ災害に遭う

過去の壊滅的な被害を教訓に、同町は03年、「津波防災の町」を宣言しました。防波堤の高さも宣言しました。高さ10メートル、総延長2.4キロに及ぶ世界最大級の防潮堤“田老万里の長城”も備えていました。この「日本一の堤防」が今回の大津波で打ち砕かれ、住民を守れなかったかのように伝えられましたが、旧田老町の防災担当者は首を振ります。

「そもそも、前提がまったく違う。大津波は防潮堤を超えてくるもの。住民が避難する時間を稼ぐための防潮堤なんです。あと一歩、一秒で助かる命があるんです。防潮堤が脚光を浴びれば浴びるほど、住民に過信が生まれます。

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