絵を描いた1503年当時、リザは24歳でしたが、描かれている人物はもっと年齢が高く見えます。 フランチェスコの妻と書き記したヴァザーリは、1511年の生まれであり、レオナルドにもリザにも会ったことはありませんでした。また『モナ・リザ』を実際に見てはいないと思われます。
レオナルド存命中の1517年にクルーの館を訪れた人物(ルイジ・ダラゴーナ枢機卿の秘書アントニオ・デ・ベアーティス)が、ジュリアーノ・デ・メディチの依頼によって描かれた「フィレンツェの婦人」の肖像を見たことを記述しています。レオナルドは「フィレンツェの貴婦人の役目は、偉大なジュリアーノ・デ・メディチの死と共に終わった」と述べたといいます。
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