「想像を絶する大津波だった。学校の判断は致し方なかったと思う」としています。
市教委によると、 校長が9日夜、生還した教諭から状況を聞き取った結果を保護者に伝えるといっています。
5時間目を終えたとき、大きな揺れが襲いました。子供たちは机の下にもぐり、校庭への避難が指示されました。泣き出す子もいましたが、女性教諭らが付き添いました。学校前に自宅があり、同校に通う2人の孫を亡くした阿部文子さん(59)は「校庭に子供たちが整列しているのが見えた。ヘルメットをかぶっている子もいた」と語っています。
校庭には、離れた地域の児童を送るためのスクールバスが止まっていました。
「いま校庭に並んだ子供の点呼を取っているところで、学校の指示待ちです」。
男性運転手(63)は運営会社に無線で連絡しました。これが最後の通信となりました。
何を話したのでしょう。男性も津波で死亡しました。
会社側は「詰め込めば児童全員を乗せられただろう」と語っています。
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