住民や男性の証言を総合すると、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったといいます。
列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かったということです。
宮城県沖で二つの断層が連動した地震が発生した場合を想定した津波浸水予測によると、河口付近の高さ5~10メートルに対し、小学校周辺は1メートル未満でした。
今回の津波は2階建ての同校校舎の屋根まで乗り越え、裏山のふもとから約10メートルも駆け上がりました。
また児童らが避難しようとした新北上大橋のたもとでも、電柱や街灯がなぎ倒されるなど津波の被害を受けました。
「ここまで来るとは誰も思わなかった」。
同地区の住民は口をそろえます。
同市河北総合支所によると、 防災無線の避難呼びかけは一度きり。同支所によると、釜谷地区全体での死者・行方不明者は住民の約4割の189人でした。
津波を見ようと堤防に行ってさらわれたり、自宅にとどまり犠牲になった人も多かったといいます。
県教委によると地震と津波で死亡した同県の小学生は127人で、4割以上が大川小の児童でした。
8日には行方不明児童の1人とみられる遺体が見つかりました。
学校の周辺は今も我が子の手がかりを追い求める親の姿が絶えないといいます。
「当時の状況を知りたい」という保護者らの思いは切実です。
3年生の孫を亡くした男性(61)は、遺体発見までに3週間を要しました。
「せめて何年生が、どの方角に逃げたのかだけでも知りたい。捜索にもある程度の目星が必要。みんな早く見つけてやりたい一心なんです」と語ります。
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