「山の中で、『おーい』と人がいないか捜していると、弱々しい声で、『おーい』と聞こえた。髪までぬれた男の子2人が斜面に横たわっていた」と。
「歩けるか」と声を掛けると、2人は「大丈夫です」と答えました。開けた場所まで行き、他の避難者たちとたき火をして一夜を過ごしました。2人は「誰かに大声で『山に逃げろ』といわれた」と説明しましたが、言葉は少なく、ずっとうつむいていたといいます。よほど、ショックが大きかったのでしょう。
震災当時、学校を不在にして助かった柏葉照幸校長に対して、娘のランドセルが見つかった男性は捜索中、裏山を指しながら柏葉校長に疑問をぶつけました。「ここに登れば助かったんじゃないですか」と。男性によると、柏葉校長は「そうですね。わたしが現場にいたらそうしたかもしれません」と答えたといいます。魔がさしたとしか、いえないのでしょうか。
市教委は「想定外の津波だった。山が崩れる危険がある中、農道を行く以外に方法があったかは分からない」としています。
大川小学校の校歌です。亡くなった児童には、もはや未来は拓けません。幸運に生き残ったひとたちは、この悲劇を糧に未来を拓いてほしいものです。
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