2011年5月17日火曜日

スーちゃんの死(2)

 さて、スーちゃんと小達氏がじっくり話す機会を持ったのは、夏目雅子の死から2年が経った87年でした。彼が経営するかつら会社のPR誌の対談の場でした。妹の夏目雅子を通じて、スーちゃんのことを知っていた小達氏の依頼で実現したもので、二人はすぐにうちとけました。

89年公開の広島原爆を扱った映画『黒い雨』では、ヌードも見せる迫真の演技で、スーちゃんは日本アカデミー賞主演女優賞など映画賞を総なめにしました。この映画の撮影で小道具につかうかつらが必要となり、スーちゃんは小達氏の会社を推薦しました。

当時、小達氏には妻があり、これを承知の上での不倫でした。一方、伊集院氏も妻子ある身で、夏目雅子と付き合っていました。東京や横浜などで食事をする仲になり、段々深い交際になって行きました。夏目雅子が伊集院静氏を好きなったのは、08623日のわたしのブログに書いていますが、薔薇という漢字を伊集院静氏がさりげなく簡単に書いたためだったといいます。二人の交際がマスコミに発見されたのは、82年秋のことでした。これが、大っぴらに報道され、伊集院静氏は会社を退職し、妻とも離婚しました。

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