今回も、検察が、「天の声」、「談合による受注」などの言葉を、マスコミを通じて、今回の事件の捜査の正当性をアピールするために使っているとすれば、それは、刑事裁判の目的の逸脱です。
そのようなやり方に対して検察内部で自制が働かないとすれば、裁判員裁判の公正さの確保という面でも重大な懸念が生じると言わざるを得ません。職業裁判官による判断であったからこそ、「天の声」による談合受注は冷静に否定されました。検察のパフォーマンスを受けたマスコミ報道に影響を受けた判断であれば、結論はどうなったでしょうか。
上記の第2の点が、西松公判で既に裁判所の判断が出ている事項であるのに対して、政治資金規正法違反の成否という第1の点については、全面降伏状態で違反事実を全く争っていない西松公判においては、裁判所による実質的な判断が行われたとは言えません。
今回の公判での最大の争点は、この政治資金規正法違反の成否の問題にあるのであり、弁護人側も冒頭陳述を行って、この点について、この団体に実体があったことについての詳細な反論を行っています。
この点についての検察側と弁護側の主張・立証を詳細に伝えることが、今回の公判の報道について最も求められていることであるのは言うまでもありません。検察の冒頭陳述での世論操作的な「天の声」ストーリーをそのまま垂れ流すような報道は、決してあってはならないことです。
今回の公判についての報道の在り方は、刑事裁判報道の在り方に対して極めて重要な意味を持つものと言えましょう。マスコミの報道のあり方について、これを監督する総務省は、適正な判断をすべきであり、法務省も検察に対して、公平性を求め、意図のある起訴などは、行うべきではありません。(この記事は、Electoronic Journalを参照しました)
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