2010年4月8日木曜日

西松建設献金公判で、検察がマスコミに頼り、「天の声」乱発で小沢攻撃(2)

 ゼネコン間で行われていた談合というのは、基本的には、工事を受注するのに最も相応しい業者を選定する業界内の受注調整です。そこに、間接的に伝えられる首長の意向や、発注自治体への予算や補助金の配分などで影響を与える立場の政治家や、地域の有力者の意向などが影響力を持ち、それらの要因が複雑に交錯して、業界内での情報交換や話し合いを通じて受注予定者が絞り込まれていくのが一般的でした。
 そのような構図の下では、大久保氏がゼネコンとの間で個別の公共工事に関して何らかの話をしたとしても、それがゼネコン間の談合による受注者の決定に直接的に結びつくものではありません。
 小沢事務所側の工事受注への了解、すなわち「天の声」によって西松建設が公共工事を談合受注したと主張するのであれば、「天の声」が、公共工事を巡るゼネコン間の談合による受注者決定にいかに影響を与えるかを明らかにしなければなりません。
 しかし、その点について検察官の冒頭陳述では、「昭和50年代からF社の担当者を仕切役とする談合により受注業者が決められていたが、小沢議員の地元である岩手県下の公共工事については、昭和50年代終わり頃から小沢事務所の意向が本命業者の選定に決定的な影響を及ぼすようになり」というような抽象的な記述が行われているに過ぎず、談合による受注者決定に至るプロセスは全く明らかにされていません。
 このような曖昧な「天の声」による談合受注のストーリーは、到底、刑事裁判が認定できるレベルのものではないとの裁判所の判断は当然と言えるでしょう。
 問題は、このように、被告人が全面降伏して最も立証が容易な状況でもあった関連事件の裁判で、寄付と公共工事の受注との対価関係が認められなかったにもかかわらず、検察側が今回の冒頭陳述で、再び「天の声」などという言葉を多用し、寄付が公共工事と対価関係があるかのような主張を行ったことにあります。
 このような裁判所にも受け入れがたい主張を執拗に行う検察の意図はどこにあるのでしょうか。刑事事件の主張・立証を被告人の犯罪事実や情状を明らかにするというのは、刑事裁判の本来の目的ではなく、世論操作を意図して行っているようにも思えなくもありません。
 西松建設側の第1回公判において、検察側が冒頭陳述で多用した「天の声」という言葉は、新聞、テレビなどでそのまま報じられ、小沢氏側が西松建設関連の政治団体から受け取っていた政治献金は、小沢事務所側が「天の声」を出して西松建設に工事を談合で受注させた見返りであったことが、あたかも確定的な事実であるかのように扱われました。簡単な検察の手に乗ったメデイアの報道と言わざるを得ません。小沢潰しには、なんでもやるということでは、正義の検察の名が泣きます。(この記事は、Electoronic Journalを参照しました)

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