2010年3月9日火曜日

ウイルコムの再建話(1)

 ウイルコムは、2月18日に東京地裁に会社更生法の適用を申請しました。負債が2060億円といわれています。これは、通信会社の倒産では、2006年に破産した平成電電(負債総額1200億円)を超え、過去最大となりました、
 さて、ウイルコムをどのように再生するのでしょうか。もともと、ウイルコムは、1994年、DDIのPHSのための子会社のDDIポケットとしてスタートしました。微弱電波を使い、消費電力が長い、通話品質がよいなどを売りにして来ました。当初はそれでも加入者が少なく、販売奨励金(インセンティブ)をつけて、ただ同然で加入者を募りました。この販売奨励策が成功したと思いきや、他の通信キャリアも値段を下げる、販売奨励金を出すわで、たちまちDDIポケットのメリットがなくなりました。名称も「簡易携帯電話」としたものですから、ユーザーに加入にためらいを持たせました。創業者の稲盛和夫氏は、DDIには業務用回線のみで、家庭用、個人用の回線がない。PHSでこれの代替にしようと考えました。稲盛氏は「これで全国どこにでもPHSはかかるのやな」とPHSの責任者に確認しました。責任者は「そうです」と答えました。ところが、PHSはデジタル回線なので、NTTのINS回線が来ていないところには、つながらないのです。NTTはINS回線は需要のあるところしかひかないという方針でした。田舎饅頭を想像してください。通常の饅頭のようにぐるりと皮がないのです。したがって、ゴルフ場には、INS回線は来ていませんから、当然のことながら、PHSは使えません。DDIポケットのPHSは、基地局に比較的大きな500mWを使っていましたので、かなり届きました。ところが、当時、あと2つ、PHSのサービスをやる会社がありました。NTTとアステルです。アステルは、電力会社系でしたので、地方によって、運営会社が異なり、うまくつばがらないということや、基地局が20mW出力で小さなことから、到達距離が非常に短いということで悪評を買い、とうとうDDIポケット1社になりました。DDIポケットは、データ伝送速度を速めるためにさまざまな工夫をし、128kbpsから256kbps,次いで512kbpsとスピードを上げ、携帯電話がまだデータ速度が遅かったために、かなり評価された時期もありました。
 その後も、苦しい経営でしたが、設備投資がなくなった後は、黒字に転化していました。2009年3月期の決算では、単体売上2025億700万円、純利益59億7500万円になっていました。(以降、明日に)
 

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