2009年12月23日水曜日

司馬遼太郎の“ウォール街”(1)

 この作品は、「アメリカ素描」の中に書かれたものです。これは、第一部が昭和60(1985)年4月1日から5月19日、第2部が同年の9月28日から12月4日まで、読売新聞に連載されました。この本は、これまで手に取ったことがありませんでした。しかし、この本を読んで、あらためて司馬氏が、“只者でない”ことに気づかされました。
 ウォール街は、当然のことながらニューヨークのマンハッタン島にあります。マンハッタン島は、開拓時代、南から開けて来ました。「17世紀前半、最初の入植者たちは開拓期がおわったころ、放牧している家畜が南端の居住区にしばしば迷いこんできたので丸木の塀(wall)をつくった」とあります。これが、ウォール街の名前の起こりです。
ここで、司馬氏は野村証券の寺沢芳男氏に会います。寺沢氏は、
「日本の証券界とは大きなちがいがあります。日本では、むかしから投資と投機とをわけて考えます。伝統的に、投資を正しいとし、投機をいかがわしいとするのです」。
そこで、司馬氏は、資本主義の正道は投資であり、投機はバクチであるまいか、と疑問を投げかけています。今のわたしも司馬氏の考えと同じです。
しかし、寺沢氏は、
「アメリカでは、投資的な証券市場参加者は10パーセントぐらいしかいません。あとの90パーセントは、投機家です」。
 それがウォール街だというわけです。この文章が書かれたのが、1985年のことですから、少なくともこの10年以上前、今からだと35年以上前から、ウォール街ではそうだったと思います。
また、「スペキュレーションとは、熟慮とか思索と辞書にあるが、ウォール街では、「投機」、「思惑」のことです」。「先物売買のことをフューチャー(future)と言うが、投機とは、主としてフューチャ-をやることなんです。ウォール街では先物買いは決して危険ではない」と、寺沢氏は語っています。それは、なぜか。
 「投機家たちは危険でないシステムをつくるのです。投機家である会社(銀行・証券会社・保険会社)は、先物に数学的な体系をあたえる能力を持った頭脳を、年棒何億円かで契約します。その専門家に決してソンをしないシステムをつくってもらい、コンピューターで運用するんです」。
 そういう頭脳は、ハーバード・ビジネス・スクールのところで養成されると、寺沢さんはいいいます。この寺沢氏もハーバード・ビジネス・スクールの卒業生です。
 司馬氏は「わたしのような素朴な日本人からはみればこの大学院はじつに危険なことを教えていることになる。保険会社、証券会社、銀行が投機のためにウォール街にオフィスをおき、バクチでありつつもソンをしないシステムを開発しては、それへカネを賭け、カネによってカネを生む。(アメリカは大丈夫だろうか)という不安をもった。」と書いています。多くの人が、司馬氏と同じ感じを持ったのではないでしょうか。(以下、明日へ)

0 件のコメント: