2009年12月2日水曜日

辻本賢人の野球人生

 2004年に史上最年少の15歳で、中学校を卒業して、すぐに阪神に入団した辻本賢人投手が阪神をクビ(戦力外通告)になりました。2回目の12球団合同トライアウト(入団テスト)を11月25日受けました。これには、辻本投手を含む投手11人、野手5人が参加しました。
 辻本投手は、入団時、非常に期待されていました。高校で野球するよりも早くプロ野球に入って、体づくりを行う方がいいとも言われたものです。わたしなども昔、東映で怪童として騒がれた尾崎投手のようになることを想像していました。3年もすれば、エースになるだろうと思っていました。15歳で急速は、140キロ出ていたはずです。本人はアメリカに行くことも考えていたようですが、阪神が説得して、入団させました。そして5年が経って、フォームはバラバラで、急速は130キロがやっとです。特に肩も痛めていないようです。このトライアウトには、米大リーグからもスカウトが来ていたので、その目に留まるかも知れませんが、日本のプロ球団は採用の気持ちはなく、独立リーグでもないようです。本人は、どこからのオファーでも待つつもりでいます。
 こういう少年を阪神は、どういうトレーニングをしたのでしょう。阪神球団ならびにコーチにも非常に腹が立ちます。純粋に野球に打ち込んでいる少年をまったく指導できなかったわけです。大卒であれば、本人の自覚の問題と言えますが、15歳の少年です。こういうコーチが、他の投手のコーチも出来ないでしょう。女性であれば、結婚という逃げ道もありますが、男はそういう逃げ道はありません。まだ、20歳と若いので、なんとか阪神を見直させる選手になってほしいものです。実家は、裕福な家庭でしたので、生活に困るということもなく、場合によっては、アメリカでの再起にも温かく見守ってくれそうです。しかし、少し野球がうまかっただけに厳しい試練となりました。この件は、コミッショナーも調査すべきです。

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