2009年12月14日月曜日

豊かさの勘違い

 わたしの友人の祖母が亡くなられて、ハガキが届きました。105歳だったそうです。松山で生活された人でした。わたしは、この方がどういう生活をされていたのか、まったく存じません。しかし、都会で生活するよりは、幸せであり、豊かだったのではないでしょうか。わたしの郷里、福岡でも町内に医者がいて、いつでも、もちろん、夜間でも親身になって、診てくれました。休みの日には、どこかの家でちゃぶ台に座って、昼飯を食べさせてもらったものです。そして、夕方、暗くなると、声がかかり、「また、あしたね」といって、分かれて帰りました。ラジオはありましたが、テレビはありませんでした。洗濯機も電気冷蔵庫もありませんでした。そのあと、電化製品が揃って行きました。これを豊かだと勘違いしたかも分かりません。
 昔、中学を出て、夜行列車に乗って、東京や、関東に就職でやって来た人たちがたくさんいました。一生懸命に働いて、結婚し、家を買い、こどもも生まれ、そのまま都会に住みました。たしかに収入は、田舎よりも多いのでしょうが、生活は、どうでしょう。住宅も田舎とは、比べものにならない小さな家です。そして、たくさんのローン。風呂は、ガスや電気で沸かせます。コンビニがあって、便利です。しかし、こういうことに誰も豊かさを感じていないでしょう。高速道路で田舎に行ってのなつかしさ、その高速道路にすさまじい費用がかけられています。誰のためでしょう。空港、ダム、高速道路、無駄なものが多いように思います。宮崎のように美しい国にコンクリートの塊である高速道路を作らないといけないという東国原知事。都会に出た人間は、都会を田舎に持ち込もうとします。都会がないと、生きていけないと勘違いします。車も多すぎます。もっと時間軸をゆっくりして、自然の豊かさ、人情の豊かさ、食べ物の豊かさ、太陽の豊かさを実感したらどうでしょう。クレジットカードでなにでも買えるというのは、やはり病気です。アメリカ文化から、そろそろ卒業したらどうでしょう。みな、腹が出て来て、成人病になります。そして、莫大な医療費。病院は、病人の山です。そろそろ考えましょう。

0 件のコメント: