東京と九州の国立博物館に展示された阿修羅像が、興福寺の仮金堂に帰って来ました。10月17日から11月23日まで、展示されます。早速、見学に行って来ましたが、阿修羅像に逢うための時間は、わずか10分です。それもチケットを買うための並ぶ時間です。あの東京国立博物館での混雑は、何だったのでしょう。
阿修羅像は、仮金堂の中央前列に立っています。そのほかに20像が並んでいます。阿修羅像の後ろには、釈迦三尊像がありますが、これらよりも十大弟子・八部衆像の方が存在感があります。東京の時には、阿修羅像にのみ、スポットライトが当たっている感じでしたが、奈良では、他の仏像と同じように静かに立っている感じでした。東京では、とても手を合わす気になれませんでしたが、ここではその気になります。阿修羅像は、東京のときと違って、抱きしめたいくらいに可憐でした。男子像ですが、女子像ともとれるか細さが見る人の心に静かに入って来ます。出口に近いところに立つ沙羯羅(さから)像も幼さの残る像で、記憶に残りました。
仏教は、大乗仏教と小乗仏教があります。小乗仏教は、インドからタイや、ベトナム、インドネシアに伝わりましたが、ここでは仏像は、釈尊のみです。大乗仏教は、さまざまの仏像を作りました。教え、解釈の違いです。
仏像も初期には、金銅仏、塑像、乾漆像、木像など、いろいろの作り方がありましたが、鎌倉時代以降は、木造、しかも寄せ木造が主となります。この阿修羅像は、脱活乾漆造です。当時は、まだ漆がそれほど高くなかったのでしょう。後期には、漆は貴重品でこの作り方は、用いられなくなります。
日本の仏師の初めは、止利仏師(鞍作止利)と云われております。もともとは馬の鞍を作っていた職人でした。止利様式といわれる時代を築きました。止利様式というのは、正面の姿が大事で、顔は面長で、微笑んでいます。止利仏師は、金銅仏を主にしています。この阿修羅像は、止利仏師の次の世代に作られたもので、朝鮮半島から多くの技術者が移って来て、製作したものです。この時には、仏師以外の仏像建築の建築家、瓦職人なども大挙来日し、多くの寺院を建築しました。阿修羅像は、天平6(734)年の製作です。天平文化、仏教文化が華やかな時代に生まれたものです。興福寺は、その後も何回も火災に遭いましたが、その都度、阿修羅像は、難を免れました。
この秋は、奈良では多くの催しがあります。是非、出かけて来て、ご覧になって下さい。わたしは、極力、こういう機会は、行って見ようと思っています。
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