
しかし、この発掘について、寺澤黛・奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長は「卑弥呼の治世は女王国に与しない国々も少なくなかった。不安定な時代に、箸墓のような隔絶した大型古墳が築かれたとは考えにくい」として、箸墓は卑弥呼の墓とは認めていません。箸墓が、卑弥呼の墓としますと、いきなり前方後円墳が現れたことになり、矛盾を感じます。また、魏志倭人伝にも卑弥呼の墓は、周囲が百歩の円墳と書いています。やはり合いません。墓は、円墳に始まり、方墳、ホタテ貝型から前方後円墳に進化して行ったと考えるのが、常識でしょう。

わたしは、やはり邪馬台国は、北九州にあり、東征して、大和朝廷になったと思います。これであれば、日本書紀の記述とも合います。しかし、こういうことは、いたずらに結論を急がない方が、古代ファンにとっては、楽しみがあります。
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