2008年11月10日月曜日

アライグマによる被害

 京都府木津川市の浄瑠璃寺の国宝三重塔の柱に描かれた天部像の顔がアライグマによってひっかかれました。木津川市になる前は、相楽郡加茂町といっておりました。京都府というのがおかしいくらいに奈良市に接近しています。浄瑠璃寺は平安時代の1047年に創建されました。宇治の平等院鳳凰堂が出来たのが1052年、平泉の中尊寺金色堂が出来たのが、1120年です。当時は、阿弥陀信仰が全盛で、阿弥陀仏を信じれば、西方浄土に行けると信じられていました。浄瑠璃寺は、山の中にあったためか、戦火にも、遭ったことがなく、創建当時のままに残っています。西側の床は、シロアリの被害にあって、張りなおしたそうですが、その他は創建当時のままです。けっして大きな堂ではありません。柱も東大寺や、唐招提寺のような大きな柱は、使っていません。高さもそれほどでなく、民家を少し大きくした感じです。しかし、本堂の九体阿弥陀堂の屋根は、なんともいえぬ優雅な曲線を描いています。心字池を挟んで三重塔と向かいあっています。この池も自然のままの感じです。手を入れたのか、入れていないのか。しかし、荒れているわけでなく、静かな雰囲気を参拝客に与えています。ここが、素晴らしいのは、境内に入るのには、拝観料をとりません。本堂に入る時に入館料300円を納めるのみです。
 浄瑠璃寺は、小さな山門を北側から潜ります。右手(西)に本堂、左手(東)に三重塔があります。三重塔には、薬師如来が祀ってあり、本堂には、阿弥陀如来九体が安置されています。春分・秋分の彼岸の中日には、九体仏の中尊の阿弥陀仏の方向に太陽が沈んでいくように設計されています。阿弥陀仏九体は、人間は、下品下生から上品上生まで、9段階の往生の段階があるということで、九つの如来が祀ってあります。当時、九体の阿弥陀仏を祀ることが競って行われ、横長の堂が作られましたが、現存するのは、唯一、浄瑠璃寺のみです。九体の阿弥陀仏は、寄木造で、表面に金箔が貼られています。
 わたしが、浄瑠璃寺を知ったのは、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」でした。堀辰雄は、1943年春、2度目の奥さんの多恵子さんと木曽路を通り、伊賀を経て、大和路に出たときに浄瑠璃寺に立ち寄りました。「浄瑠璃寺の春」は、このときのことを作品にしたものです。かれは、その10年後の1953年5月28日に49歳で亡くなっています。
 三重塔の天井も一部がアライグマによって破損し、重文の薬師如来像の右肩の衣部分の朱色の顔料などにも傷つけられた跡が残りました。世界遺産の東大寺や清水寺にも被害が及んでいるそうです。
 アライグマは奈良で昨年だけで、136匹が捕獲されています。アライグマは北米原産で、日本には生息していませんでした。しかし、アライグマラスカルなどのアニメで人気を呼び、近年ペットとして飼われ始めました。顔のわりに獰猛です。このために飼うことができず山に遺棄したり、逃亡して野生化するようになりました。野生化したアライグマは、ピューマなどの天敵が日本にはいないため、急速に生息域を広げています。鹿や熊による被害も大きな問題になりつつあります。鹿や熊は農作物に対してでしたが、アライグマは国宝や重文に傷つけます。文化庁は、これらを管理する神社仏閣に注意するようにと通達を出すのみです。ひっかき傷の復元は、非常に大変です。ネズミが嫌うような超音波やにおいで退散させることができればいいのでしょうが。

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