10月27日の日経の田勢康弘氏のコラムを読みますと、解散をめぐる謎について書いています。麻生首相は、「解散は私が決める」と発言していますが、どうも怪しいようです。「解散権は首相の専権事項」とこれまでの首相は言ってきましたが、「実はそんなことはどこにも書いていない」そうです。憲法にも国会法にも内閣法にも衆議院規則にもありません。憲法に「解散」の二文字が出て来るのは、第七条の「天皇の国事行為」と第六九条の「衆議院の内閣不信任」のみです。新憲法制定の過程では、衆議院が内閣について「不信任」の意思表示をした場合にその対抗手段として解散を認めたのであろうと書いています。したがって、首相が、いつでも好き勝手に解散できるというのは、拡大解釈です。
新憲法下の二回目の選挙は、憲法上の矛盾を考慮してか、与野党が話し合いで内閣不信任を可決し、それによる解散という形にしています。
今の解散詔書は「憲法第七条により・・」と主語が抜けており、誰が解散するのか、分からない形になっています。帝国憲法では、「朕が解散を命ず」とはっきりしていました。
これらから言えることは、首相が「不信任」を可決された場合は、対抗措置として、「衆議院の解散」を命ずることができますが、それがないのに「解散」はできません。麻生首相だけでなく、自民党の歴代首相は、取り間違えていたようです。田勢氏は、強いて読めば、解散権は「内閣」にあると読めなくはないと書いています。したがって、麻生首相が、反対しても内閣を構成する多くが、解散に賛成すれば、解散できるのでしょう。このあたりは、民間の株式会社で取締役の多くが反対すれば、社長一人が賛成しても反対できるのと同じことになります。解散権の定義は、内閣法制局などで、あらためて明確にして欲しいものです。
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