江利川氏は98年に内閣官房に移ると、04年に内閣府事務次官に就任。小泉政権の介護保険制度改悪を指揮しました。そして2年の任期を勤め上げた後に、証券会社系の年金制度調査シンクタンクに天下りました。だが1年後、何と古巣・厚労省の事務次官として霞ヶ関に舞い戻って来ました。
職員を前にした就任挨拶はこうでした。
「皆さんと家族はさぞ肩身の狭い思いをしてきたでしょう。力を合わせて難局を乗り切りましょう!」
2年後の09年11月、「公務員の高給批判」の高まりに困った霞ヶ関が「この人しかいない」と人事院総裁に送り込んだのです。
「江利川氏の総裁就任は、民主党の支持基盤である自治労も望んでいました。当時の菅副首相は厚生相時代の部下だった江利川氏の起用をすんなりを受け入れました。結果的にこの人事が削減法案を潰す原因となりました」。
官僚人生で江利川氏が手にした金額はいかほどになるのでしょうか。総裁就任以前で約4億5000万円。現職の総裁給与と、将来支払われる退職金などを加えれば、生涯で実に約7億円の税金を懐にいれることになります。しかし、こうした人物が「官僚の給与を勧告するアンパイア」の適任者とは思えないと週刊ポストは書いています。
江利川氏が人事院総裁として「守ってもの」は何だったのでしょうか。一義的に言えば、彼らの給与と賞与です。
ジャーナリスト・若林亜紀氏の指摘は核心を衝いています。「官民格差を維持することです。それがなくなれば国と地方の公務員の結末が崩れ、官僚が国をコントロールする機能を失うからです」。
下記の表に公務員と民間の給与格差を示していますが、「役人」という肩書きを持つだけで2倍近い給料を公務員は受け取っています。
人事院勧告では、公務員給与は情勢適応の原則(国家公務員法28条1項)に基づき、民間の給与水準と均衡させることが基本とされています。
週刊ポストの記者は、自宅前で、出勤前の江利川氏を直撃しました。
――民のボーナスが減少している中、官は満額出る。
「そういうルールになってるんですよ」
――賃下げ法案は今国会で成立せず、満額支給となった。その結果に国民は納得しない。
「いやいや、法案も人勧も継続審議中ですから。(私は)人勧も災害対策(賃下げ法案)も両方やってほしいといっている。ただし、憲法とか法律は守って下さいよ、ということです。会期中に通らなかったのは残念ですが、別に1月からの給料で減らしたって構わないわけです。
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