これからの人生を、相も変わらぬ生活を会社や家族のためでなく、自分のために使いたい。
会社を定年退職した場合に、問題は翌日にあると書いています。今日から会社に行かなくていいわけですが、もう会社に行かなくてもいいという解放感よりも、行き場を失った喪失感がおそってきます。
定年とは会社との別れをはじめとして、“七つの別れ”が訪れてくることだとよくわれます。
“六十歳からの行き方”を決めるのは、この七つの別れをいかに上手にやるかにかかっていると書いています。
会社との別れに続くのが肩書きとの別れです。
定年後はずっと、このただの人が続くのです。
三つめは、金との別れです。給料がなくなるのは当然のことですが、多少使えた接待費もう使えません。
四つ目は家族との別れです。子どもたちはいつか独立して家を出て行くでしょうし、配偶者に先立たれることもあるかもしれません。
最近の風潮として長年連れ添った妻から、三行半をつきつけられるということも、ありえないとはいいきれません。
会社に毎日行くということがなくなりますと、どうしても生き生きとした情報がはいってこなくなります。
会社には、社内のうわさ話という生きた情報もうあります。こうした情報との別れが五番目の別れです。
定年と同時に人間関係の糸はなんとなく切れてしまいがちなものです。これが六番目の別れです。
この“七つの別れ”によって、新しい “七つの出会い”が生まれる可能性もあるのです。
平均寿命から考えて 定年は人生のゴールではなく、むしろ、第二の人生のスタートです。
多胡氏は六十代を“ダイヤモンド・エイジ”、七十代を“ゴールド・エイジ”と呼ぶようにしています。八十になってようやく“ジルバー・エイジ”になるのです。
なるべく定年後にはなくなるとわかっている特権などを、あまり使わない生活を送るようにすべきだと書いています。
肩書きがなくなるというとは、そうそう悪いことばかりではありません。社会的地位という肩書きがなくなったおかげで、いままでやりたくてもできなかったことが、気軽にできるようになることもあるのです。
しかし、定年後、名刺から肩書きや会社名を抜いてしまったら、何も残らないという人が結構多いのです。
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