大仏殿の正門にあたる南大門について触れましょう。南大門は、大仏殿に参るときには、必ず通ります。重層入母屋造の木造本瓦葺きの建物で、高さ25mの豪壮な門です。平安時代の962年に台風で倒壊したものを鎌倉時代の1199年に再建したものが、現在まで残っているという非常に貴重な建物です。俊乗坊重源上人が中国の当時の宋の建築様式を取り入れて建築した大仏様の建築です。
そして、南大門におさめられた金剛力士像二体は、治承4年(1180)の南都焼き打ちのあと、東大寺再建の際、重源上人が南大門に納めるために、造らせたもので、運慶・快慶らによって、1203年9月1日より造営開始され、1203年11月8日に完成・開眼されました。これだけの巨大像二体をわずか69日間で造り上げたわけです。寄木作りという工法ですが、すばらしいチームワークと管理技術です。
1988年から1993年にかけての修理の際、2体の金剛力士像の躰内から重源上人や仏師たちの名前が記された『宝篋印陀羅尼経』など、経巻や文書、それにおびただしい墨書銘が発見されました。これらによって、二体が同時進行で造像されたこと、用材は山口県から運ばれてきたことなどがわかりました。それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものとなっています。これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする従来の通説とは若干異なっていますが、運慶が制作の総指揮に当たっていたとみていいでしょう。
像の高さは、 いずれも8m40cm弱です。門の向かって右に吽形(口を閉じた像)、左に阿形(口を開いた像)を安置しています。これは一般的な仁王像の安置方法とは、左右が逆になっています。 夜に行きますと、ライトアップされていて、昼とは違った印象を受けます。平城遷都1300年の今年は、ガイドブックを片手に奈良の町をあるいてほしいものです。
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