2010年9月26日日曜日

わが子を伸ばす(3)

~四大必須科目「音読」「作文」「暗算」「焚き火」~(松永暢史著)

 外遊びの大切さ
 できるだけ数多く友たちと外で遊ばせてほしいです。
傷つけ、傷つけられるのは実は大切な人間のコミュニケーション形成の基です。この感情から学ぶことは多いのです。
こういう経験が豊富な子どもの言葉は一味違います。勉強で身につけた言葉とは違う、生きた言葉が使えるのです。そんな言葉に使えるようになるには、本を読むだけでは限界があります、外で群れて遊ぶことが大切なのです。
外遊びの経験が少ない子どもは、コミュニケーション不足なので、相手のいっていることや気持ちを理解したり推測したり、自分を表現して相手に理解してもらおう能力が十分に発達していません。

 進学塾や予備校は、子どもの主体性を育てようなどとは思っていません。人間性を高めようとも思っていません。
進学塾の目的が、ただ一つ、預かった子どもの成績をあげ、いい学校に合格させることです。友だちと群れて遊ぶこともせず、感受性が磨かれる機会もなく、ひたすら勉強ばかりさせられ
て育った子どもは、何のために勉強しているのかわかっていません。こういう子どもは目的を達成すると、将来を見失ってしまいがちです。

 テレビを捨ててみよう
 私は子どものいる家庭にはテレビは必要ない、と思っています。テレビが発信する情報が現実であり、真実であると錯覚するようになります。子どもの受ける影響ははかりしれないものです。
情報を得るために、見ていたテレビなのに、その情報に考え方まで操作されるようになってしまいます。
インターネットのやり過ぎも危険です。
一番恐いのは人との関わりがネットだけで済んでしまい、実際に人と付き合うことも話をする必要もなくなってしまうことです。情報もコミュニケーションもネットだけで間に合ってしまうのです。
無限な可能性を持っている子どもにはテレビやインターネットよりも面白くてためになるものがほかにあるはずです。それを教えてあげるのが親の役目だと思うのです。

 せめて、食事の時間ぐらいはテレビを消しましょう。食事は、家族みんが集まる貴重な時間です。この時間に会話をせずにいつするのでしょうか。子どもの毎日の生活を把握していれば、問題行動なんてまず起きません。もし起きても、正しく対処することができます。

 テレビゲーム
 どんなにリアルさを追求しても、テレビゲームは所詮バーチャルな世界です。人格形成に関わるような思い出はバーチャル体験ではなく、実体験でこそつくられます。通勤電車で、ネクタイ姿でボタンを連打している大人は情けなくなるほどにみっともない。
頭を鍛えるにはやはり、ゲームよりも読書が一番のではないか、と私には思われてなりません。

 子どもは外で遊ばせる
 子どもは本来外で遊ぶべき存在です。屋外に響く子どもの遊び声は風景に馴れ染み、健康的です。一度、お子さんをどこかへ連れて行き、焚き火をしてみてください。できれば友だちも一緒に連れて行ってあげてください。
家に帰った夕食の席で、「また連れて行って」とおねだりします。焚き火はゲームやりすぎ少年の頭をクリアにしてくれます。電磁波により悪影響を確実に昇華してくれます。
逆にゲームやりすぎ少年のほとんどは記憶力が弱く、学習にねばりがありません。ゲームやりすぎ少年の回復には、焚き火が一番です。

 四大必須科目のうち、音読、作文、暗算はまだ想像がつくのですが、この焚き火は予想外でした。といわれても、「どこで焚き火をするの」という質問が起こります。わたしも子どもの頃、焚き火などが好きでした。ゴミや落ち葉を集めて、裏の畑で燃やして、冷めた後、その灰を豆類にかけたものです。おふくろに豆には、灰がいいと聞いていたものですから。同じく、子どもの頃は、電気炊飯器がなく、竈でご飯を炊きましたが、燃料は薪です。「始めチョロチョロ、中パッパ」と火加減を調節しました。どうしたら、薪に火がつきやすいかなども考えたものです。

 このことで、思い出すのは、小学校の5年生の時に母が高熱で朝起きれないことがありました。このためにご飯を炊いたりして父や兄たちの朝食の準備をしていて、学校に遅刻したことがありました。わたしの記憶では、遅刻をしたのは、その1回きりでした。みんなの前で叱られました。これを母が知ることになって、翌日(?)、担任の教師のところに遅刻の理由を話しに行きました。すると、先生が皆の前で褒め、気恥ずかしい思いがしたものです。まだ、「男子、厨房に入らず」の気が残っていた時代です。道からそれました。

 ヘッドフォン少年は集中力がない
私の経験上、すぐにヘッドフォンをする子どもに勉強を教えても、なぜか伸び悩むことが多いのです。これは集中力の問題だと、あるとき気がつきました。ヘッドフォン少年は、集中力のない子どもの典型例なのです。
授業が終わるとすぐにヘッドフォンをする子どもを、切り替えがいい考える人もいますが、こうした子どもは勉強の余韻を味わうことがありません。
勉強のできる子どもいうのは、勉強するたびに、ある達成感を味わいます。達成感を味わえる子どもは、勉強の余韻に浸ることもできるのです。

 ヘッドフォンをする子どもには、この余韻がありません。勉強の余韻に浸ることなく、すぐに脳に強い刺激を与えるべく音楽を頭の中に流すのです。記憶は復習することによって確実なものとなります。勉強の余韻に浸れる子ともは、頭のなかで自然に復習しています。復習は理解力を深め、次の勉強への吸収力を増し、意欲を湧かせます。受験に勝つには集注力は欠かせません。試験会場でヘッドフォン着用を認めてくれる学校はありません。
(明日に続きます)

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