反骨精神を持ったポール・クーパー元軍曹が、ユタ州ソルトレイク・シティーの病院で診察を受けたことも、パズルを解く鍵となりました。
これによって、やがてのちにユタ州セント・ジョージの被害が、別の被害(つまりクーパーらの軍人が受けた被害)と結びつけられるようになりました。
ポール・ジェィコブスという一匹狼のジャーナリストは、B期間中に自分の足でユタ州南部を歩きまわり、住民と起居をともしながら、子供たちの白血病をはじめとするさまざまの被害を調べあげました。それを“ザ・リポーター”という雑誌(1957年5月16日号)にくわしく報告し、のちには彼自身の体も癌におかされ、59歳で死んで行きました。1857年という早い時期にポール・ジェィコブスが伝えた事実は、エルマー・ピケットやアーマ・トマス夫人がのちにくわしく知った出来事を、すべて予言したものでした。
それらはどれも、公式の手続きにかけられると、“噂にすぎない”と一蹴され、涙を吞んでいました。
ポール・クーパーは立ちあがり、遂にマスコミに対して宣言しました。
「私は、1957年のネバダの核実験に参加したために、白血病になったのだ。間違いない」
1977年4月のことでした。
パズルは解かれはじめました。
すでにこの時、ソルトレイク・シティー軍人病院は、全国に散らばっている何千人にものぼる退役軍人の体調を調べ、白血病のおそるべき倍増お実証していました。
1949年にソヴィエトが原発実験に成功し、翌50年に朝鮮戦争が勃発したあと、ペンタゴンの原爆兵士“ペントミック・ソルジャー”と呼ばれた彼らは、目の前に迫ってきた原爆世界大戦にそなえて、ネバダの核実験場にかり集められました。
砂漠に塹壕を掘り、そのなかに身を隠して待機するのです。すると飛行機が姿をあらわし、なにかを落としてゆきます。まばゆい閃光が走ります。爆風のため塹壕に叩きつけらますが、ただちに銃をかついで外に飛び出すと、空にキノコ雲がたちのぼっていました。まだ激しく吹き荒れる爆風に身をさらしながら、爆音に耳をふさぎました。
「突撃!」の命令を受け、爆心地に向かって疾走します。「そこには傷ついたソヴィエト兵が生き残っているはずだ。殲滅しろ」
銃を乱射しながら、どこまでも突進しました。
これが原爆戦の訓練でした。
ペントミック・ソルジャーとしてこの核実験に参加した兵士の数は、今日までですでに25万人にのぼっています。
この兵士たちがやがて自分の体に異常をみつけ、その原因が核実験にあったと気づいた時、彼らは国家に裏切られたことを知ったといいます。怒りをおさえることができず、ペンタゴンをのろいました。
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