1927年設立の名門自動車メーカー、ボルボ・カーの本社工場を案内したのは、浙江吉利控股集団の創業者、李書福氏(48)でした。
「世界で尊敬されるブランドにします」と、2年前に18億㌦(約1400億円)でボルボを買収した男でした。
浙江省の農村で生まれ李氏は、写真の撮影業を手始めに、冷蔵庫、二輪車、四輪車へと事業を拡大してきました。民営企業の地位が低かった80年代に参入した冷蔵庫生産は、後に当局の認可を得られず撤退しました。98年には、乗用車に認可なしで参入しました。地元政府の数百人の幹部を工場の開所式に招待しましたが、来たのはたった一人でした。
李氏の立場を変えたのは、共産党の政策変更からでした。2000年当時の総書記、江沢民氏(85)が、民営企業家の入党を認めるよう提唱しました。02年には党規約を改定し、市場経済化で躍進する民営セクターの取り込むに動きました。吉利は01年に民営初の乗用車生産の認可を得ることが出来ました。
金融、電力、エネルギー、通信――。中国経済は長年、党と一体で独占利益をむさぼる国有企業ばかりでした。だが、現在は民営セクターが国内総生産(GDP)の6割、雇用の8割を担うとされています。野放しにしていたのでは、経済力を背景に党を揺るがす存在になりかねないと党は考えました。
共産党は年内に開く党大会で、民営企業家を初めて指導層に迎える方向を打ち出しています。建機最大手、三一集団(湖南省)董事長の梁穏根氏(56)が、その筆頭候補に挙がっています。
梁氏は89年、溶接材料工場の経営から身を起こしました。04年に希望がかなって党員になると、自らが執務するビルを「共産党委員会ビル」と改称するなどして、党に忠実な民営企業のイメージを作り上げました。
梁氏は165人ほどいる中央委員候補になる見込みです。8000万人の党員を束ねる要職の一つです。世界3位の鉄鋼メーカー、宝鋼集団のトップら名だたる国有企業の経営者と肩を並べることになります。
三一は5月、上海に置く国際部門を200人の社員ごと北京に移しました。競合企業の幹部は「党とのパイプを生かし、政府開発援助(ODA)がつくアフリカなどの商談で受注攻勢をかけるつもりだ」と警戒しています。
三一は権力構造を熟知し、割り切って党に近づきました。ただ、民営の鋭い嗅覚や機敏さは薄れかねません。
吉利にもそんなリスクが潜みます。中国最大の油田を抱える国竜江省大慶市で、自動車工場の建設準備が進んでいます。
「あそこがボルボの工場が建つ土地だ」。
地元住民が指したのは広大な野原だが、敷地を取り囲む道路がきれいに舖装されていました。
大慶には見るべき部品産業がなく、北京など消費地にも遠い。それでも吉利が工場を建てるのは、資金不足でボルボ買収を断念しかけた際、大慶市政府が支援してくれたからだった。オイルマネーから30億円(約3800億円)を拠出したとされます。
吉利に近い関係者はため息をつきます。
「難しい場所をあてがわれ、経済合理性を追求しづらくなった」。
李氏は大慶工場の稼働時期を決めていない。それは吉利の最後の抵抗かもしれまない。
農民や労働者が支持し、49年に政権を樹立した共産党。60年余りの一党支配の末、党内への取り込みを決めた資本家との距離は危うさを秘める。
日経新聞より。
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