この本をよんで、わたしも放射線被爆について少し甘く考えていたように思います。原発推進者、賛成者は、一度読むべき本でしょう。この本は昭和57年(1982年)に文藝春秋から発刊されたものです。30年前です。この当時から警鐘を鳴らしていた人がいることにあらためて頭が下がる思いです。
また、死の灰と原発から出てくる廃棄物が同じものであるにもかかわらず、一方を廃棄物として、いかにもゴミの収集車が簡単に持っていけるかのような名称にしました。こう名づけた人たちは、国民を騙した詐欺師たちです。
ここで、なぜジョン・ウェインが出てくるのか。不思議に思われるでしょうが、ジョン・ウェインも放射能の恐れを知らされなかった犠牲者です。ジョン・ウェインは、わたしも好きな西部劇のスターです。単に癌で死んだと思っていましたら、そうではありませんでした。
映画『征服者』
問題の1954年、ジョン・ウェインはユタ州の砂漠のなかで、『征服者』という映画のロケ中でした。
ユタ州は、アメリカの西部にあり、その西にラスベガスのあるネバダ州があり、さらにその西にカリフォルニア州があります。南はアリゾナ州で、このユタ、ネバダ、アリゾナの3州で、西部劇の多くが生産されています。
ジョン・ウェインの『征服者』は、米国よりむしろソ連、中国、そして日本に深い関係を持つ蒙古人ジンギス・カンの物語です。
1954年6月から、彼らはユタの砂漠に機材をもち込み、莫大な金をかけて、熱風の吹き荒れるなかでロケーションを敢行していました。
「映画は、砂漠のなかで壮烈な死闘をくり広げるシーンが目玉となっていたため、役者たちは馬からころげ落ち、砂ぼこりを胸深く吸い込み、全身ドロまみれにならなければ、監督からOKをもらえなかった。
ことに大変だったのは、このロケ地の一帯を根城にするペイユート族の一部族であるインディアン、シヴウィット族のエキストラ300人だった。
このエキストラのほかに、ハリウッドから220人のスタッフとキャストが砂漠に乗り込み、20億円もかけて製作した映画が『征服者』である」
と広瀬氏は書いています。
これと、放射能とどういう関係があるのか、徐々に分ります。
『リオ・ブラボー』が撮影されたのも、西部3州のひとつのアリゾナでした。
ジョン・ウェインが、ロケ中に、『リオ・ブラボー』の馬と同じように烈しく咳こんだのは、ケネディー大統領が暗殺された翌年(1964年)のことです。『征服者』の撮影から10年目です。その症状は、馬に飲ませたような咳止めでは効かない種類のものだったといいます。
医師の命ずるままに、生涯で初めて入院し、5日間に2度、手術台に身を横たえました。最初の手術後は、咳が以前よりひどくなり、肺が破れるほどはげしくなったので、2度目の手術が行われました。
それでもジョン・ウェインは、結局ガンに勝った(?)のでした。
1976年、ジョン・ウェインは、皮肉にも『ラスト・シューティスト』でガン患者を演じました。しかし、それ以後、突如として、一本の映画にも出演しなくなりました。
1979年1月、胃ガンのため胃を切除しました。
その年の5月には、腸閉塞のために腸を切除。そのときに、腸にガンの移転を発見しました。
そして、6月11日5時23分、腸ガンのために死亡しました。享年72歳でした。5月26日に72歳の誕生日を終えたばかりでした。
『征服者』のロケから25年後のことでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿