セント・ジョージの葬儀屋エルマー・ピケットは、町の異常に気づいていました。それは、『征服者』が公開された1956年のことでした。それまで、癌による死亡はごく稀だったのが、その年になって突然、癌で死亡する人が増え始めました。それがただ増えはじめただけでなく、彼の手で埋葬される人がほとんど癌死者になってしまうという、驚くべき変化が起こってきたのです。まったく信じ難い事態でした。
セント・ジョージの町には、住民怪死の続発に早くから気づいていた人間が、もうひとり居ました。アーマ・トマス夫人です。
トマス夫人が今日まで自分のノートに記録し続けてきたセント・ジョージの癌患者は、200人にものぼります。この200人がすべて、トマス夫人の知人でした。なお悲惨なことに、この“不幸なリスト”に書きこまれた名前のうちの半分に、赤いチェックの印が付してありました。すでに埋葬された人びとの名前でした。しかし,それは、死亡年齢から見て、いずれも、”早すぎた埋葬”といえます。
彼女のかつてのクラスメートのうち、70人もユタ大学病院で甲状腺の手術を受けています。
ソルトレイク・シティーのユタ大学医学部では、ジョンゼフ・ライオン博士らが、調査を受けていました。
実に32年間という長い歳月を対象として、15歳以下の小児ガンの発生状態を調べました。
この連続した32年間をA 、B、Cの3つの期間に分けてみました。
Aは、1944~50年の7年間
Bは、1951~58年の8年間
Cは、1959~75年の17年間
白血病をはじめとする小児ガンの発生率は、1年あたりの平均値に換算してA 、B、Cの3期間を比較してみた場合、ユタ州南西部(セント・ジョージを含む地域)では、A とCを100パーセントとした時、B期間中には、ちょうど300パーセントの高い率になりました。
また、学校のひとつのクラスに、知恵遅れの子供がこんなにたくさん居るのは、なぜだろうと調べてみましたら、この子たちはみな、1952~57年の間に生まれたものでした。
ジョゼフ・ライオン博士の論文がB期間として設定したのは、1951~58年でした。多くの障害児が出生した期間は、ちょうどこのB期間のなかに、すっぽり入ってしまいます。
『征服者』の映画を撮影したのは、1954年でした。ちょうど、B期間の真ん中でした。
次にパズルがあります。4つの疑問があります。
第一は、被害者――小児から成人までに至る膨大な数の人間
第二は、期間―― 1950年代
第三は、位置―― ユタ州セント・ジョージの周辺
第四は、被害―― 小児ガン、小児白血病、成人の発癌、癌死の激増
自らも白血病におかされながら、このパズルを解いてみせた男がいます。米国陸軍でかつて軍曹をつとめたポール・クーパーでした。
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