今回、車で鄭州市内を走り回りますと、PHSのアンテナが多いことに驚きました。人口は、400万人程度ですが、河南省の省都です。沿海部ではない内陸部として発展が期待されているところでもあります。古い中国の表現でいえば、中原です。三国志の曹操が生まれたのも近いところです。走っていて、驚いたのは、PHSの基地局の多いことです。中国網通の人に何台基地局を設置したのか聞いていませんので、他の地域と比べ、人数当たり多いのかどうかは分かりませんが、少なくとも北京に比べると、かなり多いように思います。北京では、環3、環4、環5などのメインの道路を走っても、なかなか目につきませんが、鄭州では、嬉しくなるくらいにアンテナが目につきます。地元の人に聞くと、結構使っている人も多く、PHSとGSMの2台を持っている人も普通にいます。評判も悪くありません。しっかり設置したところは、性能もいいようです。
しかし、この中国のPHSも2011年末で終了です。ユーザーの人たちが、北京の裁判所に訴えていますが、却下されています。日本発祥のPHSを中国で認めさせるように動けなかったのでしょうか、関係者の無為無策を嘆きます。9800万人までいった中国のPHSユーザーは、5000万人まで減ってしまいました。毎月毎月、大幅に減っています。反日が今よりも強かった時に日本のPHSを認めた中国人の懐の深さに敬意を払います。PHSは遅れた技術といわれながら、1億ちかいところまで増えたのです。なぜここまで増えたのか、受け入れられたのか、日本人は、よく考えないようです。井戸は、深く掘れば掘るほど、水は枯れにくいものです。最近の日本勢は何をしたのでしょう。そして、何をするのでしょう。出世、利益ばかりを追い求め、結局、すべてを流しているように思います。
わたしは、中国を理解するために、三国志、水滸伝から十八史略、近代中国史、春秋時代、戦国時代、英雄伝、孫子、孔子などを読みました。普通の中国人よりは、知識はあると思います。かれらの誇りとする人、書物などを読んで、共通の話題を持つことはビジネスに助かりました。かれらも日本を、日本のものを知ってくれるようになりました。これは、どの国と取引する場合も共通でしょう。
日本人も再度、真の意味の秀才、英傑をめざして、日本を再興してほしいものです。先生のひとりひとりが、吉田松陰をめざして、愛情深く、生徒と接し、教育に取り組めば、維新のときのような英雄がキラ星のごとく、出現するでしょう。後世に“平成の吉田松陰”と呼ばれるひとが、ひとりでもふたりでも出てほしいものです。
わたしたちの事務所は、小伝馬町にあります。吉田松陰が最期の時を迎えた終焉の地、小伝馬町牢屋敷があります。吉田松陰はここで命を落としました。その跡には、安っぽい看板があるのみです。この感性のなさには、悲しいばかりです。
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