今年は、天皇・皇后がご結婚されて50年ですが、この年は、どんな年であったか、振り返ってみたいと思います。もちろん、この年の最大のイベントは、4月10日の皇太子明仁と正田美智子さんのご結婚でした。湧き立つ興奮を思い出します。まさにお二人のご成婚から日本の高度成長は始まったと言っても過言ではないかも分かりません。人口は、9300万人、実質成長率は、約9%で、経済規模は、現在のおよそ9分の1でした。
この年のトピックを並べてみます。
2月16日:キューバ革命で、キューバの首相にカストロが就任。カストロ氏は、もう長くはないようですが、よく続いたものです。
2月17日:自民党の池田勇人(後の首相)が月給2倍論を表明。こういうことを言える政治家がいなくなりました。
3月:ダライラマ14世がインドに亡命。いまだにチベットに戻れていません。
4月10日:皇太子明仁と正田美智子さんのご結婚
5月26日:ミュンヘンで開催中の国際オリンピック委員会が、1964年の開催地に東京を決定した。
奇しくも50年後の今年、東京が再び立候補しています。日本復興の起爆剤になるかも分かりません。是非、成功してほしいものです。
8月21日:ハワイ、アメリカの50番目の州に昇格。
9月26日:伊勢湾台風 全国の被害は、死者・行方不明者5,098人、負傷者38,921人、被害家屋833,965戸。大被害をもたらしました。
12月:ミニスカートが日本上陸。イギリスのツイギーが来日して、一気にミニスカートが流行しました。男性には、目を楽しませてくれたものです。このときの方が、痴漢が少なかったように思います。少なくとも短いスカートの女子高生のスカートの中を覗こうとする人はいなかったように思います。
12月25日:ソニーが、オールトランジスタ式テレビを発表。 電機メーカー各社が、触発されて追いかけたものです。ソニーのいい時代です。
また、会社創立では、日本ペプシコーラ、京都セラミック(現京セラ)、伊豆急行があります。物価は、手紙が10円、はがきが5円でした。今は、80円と50円ですので、8倍ないし10倍、値上がりしたことになります。
そのほか、岩戸景気があり、あの国民年金制度が発足し、地下鉄丸の内線が全通しました。「カミナリ族」、「がめつい」、「タフガイ」、「トランジスタ・グラマー」といった言葉が流行しました。
山口百恵[歌手][(1月17日)、片平なぎさ[俳優](7月12日)が生まれ、高浜虚子[俳人](85歳、4月.8日)、永井荷風[作家](79歳、4月.30日)、 ジョン・F・ダレス(71歳、5月.24日)が亡くなり、朝日ジャーナル[朝日新聞社](3月15日)、週刊少年マガジン[講談社](3月17日)、週刊少年サンデー[小学館](3月17日)、週刊現代[講談社]、週刊文春[文芸春秋新社]が創刊されました。
放送では、1月10日:NHK東京教育テレビジョン局が開局。 2月1日:フジテレビが本放送を開始し、いよいよテレビ時代の到来です。ペリー・メイスン(フジテレビ、2月7日~68年3月27日)、スター千一夜(フジテレビ、3月1日~81年)、バラエティの番頭はんと丁稚どん(毎日放送、6月8日~60年4月17日) 、ポパイ(TBS)、ローハイド Rawhideドラマ 拳銃無宿(フジテレビ、12月6日~61年12月30日)が、始まっています。ベン・ハーがアカデミー賞を受賞しています。
南国土佐を後にして(ペギー葉山)(5月発売)、古城(三橋美智也)(7月発売)などもこの年です。 黒い花びら(水原弘)[作詞:永六輔、作曲:中村八大](10月発売) 第1回(1959年度)レコード大賞 を受賞しました。
プロ野球では、セ・リーグは巨人が優勝し、長嶋茂雄が新人王を獲得しました。日本シリーズは、パリーグの覇者は南海でしたが、4-0でストレート負けでした。
大相撲は、栃若時代で、1月場所は、若乃花、3月場所は、栃錦、5月場所は、若乃花、7月場所は、栃錦、9月場所は、若乃花、11月場所は、若羽黒が優勝していますが、栃若が交代に優勝するというまさに栃若時代でした。ちなみにわたしは、若乃花のファンで父に連れられて見に行ったものです。
ついでに1950年代を振り返りますと、1951年サンフランシスコ講和条約、第1回紅白歌合戦、朝鮮休戦会議、1953年吉田首相の馬鹿野郎解散、1954年自衛隊発足、1955年神武景気、1956年日本が国連に加盟、1959年シンガポール独立とまさに明るくも激動の時代でした。みながダイナミックに動いていたように思います。
あの時代を、もう一度という人も多いでしょう。これに近いのが、高校の同窓会で、わたしは福岡の修猷館高校の出身ですが、昨年の卒業45周年旅行を2泊3日で伊勢、吉野に行きましたが、90名もの同窓生が、集まりました。もう定年を迎えた人が多くなりましたが、まだ元気に働いている人も多く、元気をもらいます。
天皇・皇后がご結婚されて50年のこの年に、再び日本が活力を取り戻し、このあと、50年は、さらなる発展をしたいものです。わたしは、残念ながら、50年後は見れないでしょうが、極東に輝く真珠のようなきれいで、世界の人が憧れる日本であってほしいものです。
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