鄭州での打ち合わせが、午後からに変更になりましたので、6時に鄭州市内のホテルを出発して、洛陽市内にある龍門の石窟を見に行くことにしました。龍門の石窟は、敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並ぶ中国の三大石窟です。敦煌の莫高窟には、以前にリフレッシュ休暇をとって、見に行ったことがあります。龍門の石窟は、ガイドブックの地球の歩き方・中国に、“緑の多い伊河の畔に蜂の巣状に掘られた仏教芸術の宝庫”と以前に読んだことがありました。相当に期待して行きました。
前日、鄭州への到着が遅く、寝たのが1時でした。5時に起きて、6時出発です。かなりハードでしたが、期待したゆえです。鄭州から、約2時間。運転手も昨夜、空港に迎えに来てくれた運転手なので、こちらが眠ると運転手も眠ってはいけないと思い、必死に起きておりました。駐車場に着くと、車は少なく、悠々と見ることができました。しかし、ここでハプニングがあったのですが、これは明日、記します。
龍門の石窟は、黄河の支流の伊河の両岸の岩山に彫られています。黄河は水が乏しいのに、この伊河は、満々という感じで水があります。ほとんどの人が河の西側の西山石窟のみを見ます。写真は、奉先寺の盧舎那仏です。高さが17.14m、頭が4m、耳だけでも1.9mあります。東大寺の大仏(盧舎那仏)が高さ14.7mですから、かなり高いといえます。龍門の石窟は、北魏時代の493年から造営が開始され、675年に完工されたといわれています。東大寺の大仏が出来たのが、752年ですので、北魏形式の仏像の影響を受けているように思います。
ガイドブックなどにもあまり書かれていないのですが、以前は小さいものを含めると、東山、西山全部で、10万体の仏像があったそうです。それが、文化大革命によって、破壊されました。写真の奉先寺の盧舎那仏などは、奇跡的に助かったといえます。完全に残っている仏像は、何体くらいでしょうか。多くが、無残にも頭部が破壊されています。文化大革命は、紅衛兵結成の1966年5月から四人組逮捕の1976年10月6日まで、約10年間続きました。龍門の石窟に限らず、多くの寺院の仏像、文化財が破壊されつくしました。日本の軍隊も何体かを日本に持ち帰ったらしいのですが、破壊していないだけ、まだましだと、中国人は、おおらかです。
結局、西山の石窟を見るのには、2時間程度もかかりませんでした。対岸の東山側から石窟を見ますと、たしかに蜂の巣のようにも見えます。最初は、破壊されている仏像を見て、がっかりしましたが、時間が経つにつれて、それも薄れ、奉先寺の盧舎那仏のイメージが脳に残り、やはり見てよかったと思うようになって来ました。入場料120元(約1800円)が、腹が立ちますが、一度は見てもいいかなと思います。
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