この記事は、現在、中国で書いておりますので、日本の新聞、テレビを見る時間がなく、ひょっとしますと、このブログは、意味をなしていないかも分かりません。
民主党の小沢一郎を下ろそうという動きがあります。自民党寄りの発言の多い宮崎哲也氏や金美齢氏なども、この動きに火をつけようとしています。民主党内の反小沢の急先鋒は仙石由人氏、小宮山洋子氏、近藤洋介氏で、後ろで前原誠司氏、枝野幸男氏、菅直人氏らが、糸を引いている感じです。
小沢氏に代わるべき人物として岡田克也氏の名前が挙がっています。宮崎哲也氏などは、消費税アップを公約に挙げて、唯一選挙に勝った党首であるとベタ褒めです。その選挙は、一議席、自民党よりも多かっただけですが、宮崎氏にかかると圧勝したかのような言い方です。しかし、先の郵政選挙で、小泉元首相と衆院選挙をやって、3分の2の議席をとられるという議会選挙史上、例のない選挙をした人物です。かれの兄は、イオングループの総帥です。岡田氏は、お金はあまり使わないようですし、お金にはきれいなようです。今、民主党副代表です。官僚(通商産業省)出身です。民主党代表(4代)も務めたことがあります。
古くは、自民党で、派閥は、あの経世会に所属していました。1993年、宮沢内閣の改造内閣不信任案に賛成し、羽田、小沢に従って新生党に移り、新生党が新進党に合流したため、新進党入りしました。新進党の解党には強く反対しましたが、その後、国民の声、民政党を経て民主党の結成に参加しました。2002年の民主党代表選に立候補しましたが、対立候補の菅直人に敗れています。選挙には、必ずしも強いとは、いえません。
2004年7月11日の参議院通常選挙では、自由民主党を1議席上回る50議席を獲得しました。2005年8月の郵政民営化問題を契機とする衆議院解散(郵政解散)では、自民党が分裂選挙となったことから、当初は「政権獲得の千載一遇のチャンス」などと言われましたが、小泉劇場の前に民主党は埋没し、9月11日の総選挙では公示前勢力を64議席下回る113議席に終わり大敗し、衆院の3分の2を自民党に占められました。岡田氏は9月12日に代表を引責辞任しました。
2009年3月、小沢一郎代表の秘書が政治資金規正法で逮捕された件では、朝日新聞社が47都道府県の民主党地方幹部に行った調査においてポスト小沢の最有力候補として岡田氏が注目されていますが、岡田氏は外訪先のシンガポールで、「右往左往しないことが大事だ」と語り、鳩山由紀夫らと小沢一郎の代表続投を支持し、党内の引き締めを図っています。このあたりは、前原副代表などと違い、筋が通っていますし、大人の対応です。このあたりが押される所以かも分かりません。
2004年6月に通産官僚時代に無給ではあるものの届出もせずに岡田家の資産管理会社の取締役を務めていたことが明らかになりました。これは国家公務員法の兼職禁止規定違反となりますが、「国家公務員法を知らなかった」と釈明しました。しかし、「法学部出身のうえ、公務員研修で真っ先に教わる事項なのに国家公務員法を知らないはずは無い」という批判を受けました。なおこの件については発覚時には、すでに公訴時効が成立しています。
在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟会長として、在日外国人に日本国での地方参政権を持たせることを主張しています。大阪に長くいたわたしは、反対です。これは、別に書くことがあるでしょう。
中台問題では訪台や台湾当局者の会談の際に独立反対を明言しました。そのため台湾側から批判されました。金美齢氏もこのあたりがあり、岡田氏を推していません。また靖国問題でも中国などからの批判に対して説明不足を理由に当時の小泉首相に何度も参拝中止を要求しました。これに対して、小泉氏から「岡田代表は中国が反対しているから(靖国神社に)行くなといっているんですか、それとも岡田さんが反対だから行くなと言ってるんですか」と逆に真意を問われたこともありました。
続きは、明日にします。
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