龍門の石窟が思ったよりも早く見終えたので、白馬寺に向かいました。市内も戻る途中にあります。白馬寺は、後漢時代の68年の創建です。日本は、まだ弥生時代か、縄文時代の末期だったでしょう。大きな文化の差があったわけです。わたしは、白馬寺は、『西遊記』の 玄奘三蔵法師ゆかりの寺と錯覚しておりました。玄奘三蔵法師が天竺に向かう時に乗った白馬をつないだ寺と誤解していました。玄奘三蔵法師は、唐の時代の602年~664年の人物です。
この寺は、中国に仏教が伝わった後、初めて建立された仏教寺院ということです。蔡愔と秦景の二人が、仏教経典を求めて西域に行き、白馬に経典を積んで洛陽に向かったことに由来します。いたるところに石で造られた馬の像があります。玄奘三蔵法師もこの故事を知っていたのでしょう。玄奘三蔵法師は、色白でたいそう美男子で秀才だったということですから、危険な天竺に行くのを時の皇帝などから反対されたことでしょう。かれは、長安(今の西安)から天竺に向かいました。
白馬寺の入場料(拝観料)は、40元(約600円)。今の時期は、境内にボタンも咲いていました。
空海の銅像と碑もありました。それによりますと、空海は、804年5月12日に難波の港を出発して、8月10日に福州に漂着しました。そして、11月3日に福州を出発して、12月23日に長安に到着しました。7カ月以上の長旅です。806年3月まで西明寺で学び、灌頂名「遍照金剛」をいただきます。空海は、この白馬寺でも学んだようで、それを記念して銅像が建てられたそうです。かれは、806年に帰国していますので、1200年前の話です。
ほかにこれといったものはない寺でした。建物の壁にエアコンの室外機が付けられているのが、少し違和感を覚えました。文化財に平気に傷をつける感じです。寺の境内に坊さんたちの洗濯機などが無造作におかれており、これにも違和感をお覚えました。わたしの頭が固いのでしょう。わたしのイメージは、坊さんの洗濯は、機械ではなく、手だろうということです。内モンゴルのチベット仏教の無量寺でも坊さんが、口で経を唱えながら、メールをしていました。今の坊さんは、何のために僧になっているのでしょう。
ここも見るのにいくらも時間はかかりませんでした。静かな雰囲気のところもありました(写真)。
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