
最近、九州説の分が悪くなって来ていますが、九州説をとる学者は、「吉野ヶ里遺跡に比べても小規模で、邪馬台国が北部九州であることは間違いない」と語っています。残念ながら日本には文字として残ったものがなく、あくまで傍証にしかなりません。わたしは、福岡に生まれ、現在、奈良に住んでいますので、どちらにも愛着があります。日本書紀や魏志倭人伝を参考にすると、邪馬台国は北部九州にあり、倭の大乱で西から東征し大和に至ったという説をとりたいと思います。それにしても桜井市教育委員会の人や、橿原考古学研究所の人たちは非常に熱心です。執念の差では、北部九州は負けているかも分かりません。奈良には多くの文化財が眠っています。わたしも俳優の刈谷俊介さんのように発掘に協力したいと思ったりしますが、実現できていません。
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