
その演説の翌日の麻生首相は、「自分とオバマ大統領は、国民の『潜在力』を引き出す手法が同じである」と話しています。東氏は、「これは、麻生首相の『思い込み』、『勘違い』」と断じています。「この二人は、実は、まったく違うのである」といい、「オバマ大統領は、聞き手を巻き込み、共感、連帯意識を盛り上げる『聞き手中心』のことばである」。しかし、「麻生首相は、自分、つまり『話し手中心』のことばである」と。
この違いを端的に表しているのが、オバマ大統領の“Yes We Can”に象徴される「私たち」であり、麻生首相の「私が決断します」に象徴される「私」であると断じています。
オバマ大統領は就任演説と麻生首相の所信表明演説を比較しますと、二人の「私」対「私たち」は、前者は、1:9で圧倒的に「私たち」が多く、後者は9:1で、圧倒的に「私」が多かったと述べています。
東氏は、「ことばとは、その人がだれなのか、どこへ向かおうとしているのかを映す鏡のようなものである。政治家が『聞き手中心』のことばに大きく舵を切ったときが、国民が政治に信頼を取り戻す時だといえるだろう」と結んでいます。東氏は立命館大学の教授ですが、久々の切れ味のいい評論でした。わたしよりもひと回り下のようですが、これからは注目していきたい人物だと思います。これからの政治家は、もっと広い、手厳しい批評も出来る人をそばにおいておかないといけないのでしょう。官僚ばかりでは、明治から100年、まったく代り映えしないどころか、ますます悪くなっていきます。
しかし、この東氏の指摘は、政治家に限らず、実業家、世の経営者と呼ばれる人も銘とすべきかも分かりません。
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