
インド政府は「オークションが行われないようにするためなら何でもする」と言っていました。遺品の所有者がオークションに出品しないように説得する方針でした。それがダメなら海外の裕福な在外インド人に競り落とすように依頼し、インドに寄付してもらうという腹づもりでした。国内メディアも競売日が近づくにつれて、“国家遺産を取り戻そう”というキャンペーンを展開しました。シン首相はソニ観光・文化相に、何としてでも遺品を取り戻すよう指示しました。しかし、遺品がオークションにかけられることがわかったの


丸眼鏡は1930年代にガンジー自身が、「この眼鏡は私に、自由なインドをみせてくれた」と言って、インド人将校に手渡したとされています。サンダルは1931年にガンジーが英国人将校に提供したものです。
オークションについて親族は「遺品をオークションにかけることは許されない」と抗議。インド政府も「遺品はインドに返還されるべきだ」と主張していました。オークション直前に、所有者のカリフォルニアの収集家で平和活動家でもあるオーティス氏は「こんな議論を呼ぶことは本意でない」と、撤退する考えを示していましたが、結局はオークションは行われ、運送業を営むインド人実業家のマリヤ氏が180万ドル(約1億8000万円)で競り落としました。マリヤ氏は祖国に寄贈するといっています。インド政府に寄贈される見通しとなったことに、国内ではひとまず安堵(あんど)感が漂っています。今回の件については、ガンジーを崇拝してやまないお国柄にもかかわらず、遺品の管理がずさんさだったことを明らかにするとともに、国民にガンジーについて改めて考えさせる契機にもなったようです。
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