日銀は1月29日、2002年7月~12月に開いた金融政策決定会合の議事録を公表しました。2002年当時、竹中氏はインフレ目標の導入を日銀に要求していました。
議事録ではインフレ目標について、速水優総裁が、「インフレ予想ではなくて、成長予想を高めることが重要で、それこそが経済再生に向けた政策の王道」「経済を無謀な賭けにさらすということは、政策として適当ではない」 「そうした宣言を行うこと自体が政策運営全般への信認を損ないかねない」。
田谷禎三委員は、「実現する手段を欠く状況下では採用は困難だ」、春英彦委員は、「効果と副作用を考えれば慎重な検討を要する」、植田和男委員は、「なかなかインフレにならないところから無理矢理やっていくので、かなりの確率でオーバーシュートしてしまう」 「目標次第だが長期金利の上昇は急激だろう」とそろって否定的だったと書いています。
日銀の懸念については、先進国のこれまでの例から答えは出ているのに、なぜインフレ目標に踏み切れないのか不思議だった記憶がある。もし02年当時インフレ目標が導入されていたら、その後10年もデフレに悩むことはなかっただろうと高橋氏は書いています。
議事録では、谷口隆義財務副大臣が、日銀に対して長期国債の買い入れ増や国債の保有額を日銀券の発行残高内に抑える「銀行券ルール」の撤廃を要請していたことも明らかになっています。
インフレ目標については、10年も前に政府から必要性が指摘されていながら、拒否してきた日銀の責任は大きい。とりわけインフレ予想の引き上げに否定的だった総裁は、デフレ予想からインフレ予想へ転換することで実質金利を下げるので、輸出、消費、設備投資増という経済活性化につながるとの経済学のイロハを理解していなかったといわざるを得ない。
結論的に言えることは、日銀の幹部ももっと経済学を勉強し、他国の成功例、失敗例を十分に勉強すべきであろう。
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