「少なくとも日本では、半世紀、死者を出すような事故はないんですから、逆に考えて、『これほど安全なものはない。航空機よりもっと安全だ』ということになるんですね」。「それから科学技術は、それが危険であろうとなかろうと、中立であり、そこには政治性は入る余地がないわけです。科学技術の問題は政治的には中立だということは非常にはっきりしなければと思うんです。
扱う人間は政治的に中立ではない。中曽根康弘にものの見事に利用された梅原猛のように、吉本のこうした独善的考え方は、たとえば中曽根などには好都合だろう。
「見に行けばいいじゃないか」というだけの問題というなら福島原発で大事故が起こったいまこそ、吉本は老体に鞭打って「見に行けばいい」だろう。
この本は、吉本隆明氏が亡くなる前に発刊されたものです。
渡部恒三~故郷の福島を売った原発族、東電の共犯者
『原発をやらないと、21世紀のエネルギーは確保できない。政治生命をかけてもいい』とタンカを切り、『原発を造れば造るほど国民は長生きする』などと言って舌禍事件まで起こしながら、大震災によって福島原発がメチャクチャになるや、
「原発事故については、東京電力や政府に怒っている。故郷で生活できなくなり、仕事も奪われたのだから。東電の清水正孝は事故直後、体調不良で一週間も姿を消していた。組織のトップとして恥ずかしい。這ってでも出てきていたら、被災者の気持ちはここまでひどくなかった」と、一転、故郷の福島の被災者の味方のような顔をしている。
2011年5月5日付けの『日刊ゲンダイ』で、渡部はこう言い、
『本人に何の責任もない人々の命が奪われ、先祖から受け継いだ家や財産を流された。いまだに涙が止まらない』とも言っているのだが、特に原発については、渡辺は『何の責任もない人々』ではなく、東電と一緒になって原発を推進してきた共犯者である。
小沢一郎が、自民党の実力者だった金丸信に、
『総裁(総理)になれ』
と言われ、時期尚早と断った時、金丸は、
『(渡部)恒三なんか、一日でも一時でもいいからなりたいと言っているのに、お前は何だ』と小沢を怒ったという知られた話がある。
早稲田を卒業する時、渡部はいまは亡き藤波と、次のような約束をした。
『おれたツは、これで東と西に別れていくが、いずれ将来は、国会の赤じゅうたんの上で再会スよう。藤波君、きみは、西の緒方竹虎たれ。おれは、東の中野正剛たらん』。渡部に名前を出されては、緒方も中野もあまりにもあまりにかわいそうである。
(緒方竹虎も中野正剛もわが修猷館の先輩である。あまりにレベルが違いすぎるように思います)
福島県の現知事、佐藤雄平は渡部の甥である。佐藤は震災後は東京電力に対して厳しい態度を見せているが、元来は原発の推進派だった。推進派が安全派のポーズをとっているわけである。その転身は叔父の渡部と一緒。住民たちから見れば、それは明らかだと思うが、そこに政治家に最も必要な理念がないから変われるのである。
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