3月28日の産経新聞の正論欄に次のように書いています。
「日本は、『自然災害の博物館』と呼ぶべき宿命を背負った国である。世にある自然災害の類は、地震や津波から、火山噴火、熱波、台風、豪雨、洪水、竜巻、落雷、寒波、や豪雪に至るまで、日本にいれば一つの国の中で大概、経験できるのである。
明治以来、日本は「統治」に絡む制度に関しては、その「範」を英国に求めてきた。二大政党体制、党首討論、「マニフェスト(政権公約)」は、そうした模倣の事例である。
しかしながら、英国は、どのように考えても台風や火山噴火とは無縁な国であろう。
日本のような『自然災害の博物館』と英国のような「自然災害が滅多に起きない国」の『統治』のありようは、果たして同じであっていいのであろうか」
と疑問を投げかけています。
櫻田氏はさらに
「ジョン・メイナード・ケインズ(経済学者)は、『一つの土壌で育った植物を他の土壌に移植しようとすると、その植物は育たないどころか、その移植先の土壌を壊してしまうことがある』という趣旨の言葉を残した。
一つの国で展開されていた施策は、それを安易に他の国々でも行おうとすると、失敗に終わるだけではなく社会の土壌を壊してしまうことになる」
というわけです。一考の価値があります。
「マニフェスト」に記載されざる「突発事態」への感性を鈍らせることになるといっています。
03年衆議院議員選挙に際して、その「マニフェスト」選挙手法という「他の土壌の植物」を日本に最初に持ち込んだことにある。
要するに、他の国でうまくいっているからといって、まるまる用いると好ましくないことも多々あるということでしょう。とくに最近は、カタカナにすると、ハイカラになると、考えている人が多いように思います。マニフェストもあえて英語を日本語のカタカナに訳さなくても、選挙公約で済んでいた話でないでしょうか。
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