16.頭と体の健康の「素」は“足”にあった
子供の時分から本多は、終始一貫して「徒歩主義」を通している。
苦学生時代も、その後のドイツ留学時代も、忙しい教職に就いてからも、盛んに歩き回ったものである。
中年期はもとより、老年期に入っても、1日に2時間以上必ず歩いた。大きな収穫は健康上の効果であった。今日の人並み外れた頑健な体も、半ばは、足のこの鍛錬からきていると見てよいだろう。
よく歩くと、よく眠れる。これも、大きな収穫である。よく歩くこととよく眠ることとは、老衰予防、そして健康長寿の手近な秘訣に思う。
86歳といえば、世間一般では、十分に老齢の部類に。自分勝手に歩いていてはまわりの者がなかなかうるさくなってきた。
自由に、自分で出歩くために、一策を案じて実行に移すことにした。常に携帯して歩く懐中手帳の一ページ目に次のように大書きしたのである。
「木多静六、○○居住。死体としての私を発見された方は、お手数ながら上記の宅までお知らせ下さい。遠距離にて日時を要する場合には、ただちに灰にして肥料となし、手帳と所持品だけを宅を届けて頂きたい。それに要した費用は、右において支弁いたします。云々」と。
この旨は親戚各方面にも知らせておいた。
17.とにかく和食中心で「簡素な生活」をする
戦国時代の医師で豊臣秀吉の主治医でもあった曲直瀬道三はわが国最初の食養文献である『養生物語』を著わしている。
日本人は、先祖以来食べている方法で食すのが最もよい。外国人が何を食べようと、日本人には日本人にふさわしい食べ物がある。
飯と汁、木綿着物ぞ身を助く。其余は我をせむるのみなり」といった二宮尊徳翁の道歌があるが、粗衣・簡易食の耐乏生活は、単に非常時を切り抜けるための一時的な方便ではない。国民の意気を高揚し、健康を保全し、長く発展するために必要なあり方である。
本多はかねてから、「人頭獅身生活」を主張している。人頭獅身とは、頭脳は人間らしく、どこまでも科学的かつ理性的に発達させるが、身体はあくまでライオンのように、野獣的に勇猛果敢に発達させることである。
こうしたことのできる民族だけがいずれは世界を支配するであろうと説いた。
人生の目的は働くことであり、報酬は単なる結果にすぎない。人は報酬のいかんにかかわらず、できるだけ多く働くのが当然であり、その働きの中にのみ、真に人生の幸福が得られるのである。
怒りは怒りを買い、争いは争いを招き、ニコニコ感謝は無限の愛と幸福を呼ぶ。自分一人でも、ニコ二コして、感謝し続ければ、ほかの人も、いずれきっとニコニコ笑顔になり、感謝するようになる。
一家をニコニコ感謝にする者は、やがて社会を、ひいては世界をニコニコ感謝にする。ニコニコ感謝こそ、実に世界の平和・幸福の根底である。
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