2011年1月16日日曜日

阿倍仲麻呂の和歌

 遣唐使のところで書きました阿倍仲麻呂の有名な歌があります。

あまの原 ふりさき見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

 この歌は、古来、阿倍仲麻呂が長い唐での留学生活を終えて日本に帰国するときに送別の宴の席で詠んだということになっています。

 唐で詠んだ歌がなぜ日本に伝わったのだろうと不思議に思っていました。本人は、帰国の船が難破して日本に戻れなかったのです。それなのになぜ歌だけが日本に渡って古今和歌集(9-406)に選ばれたのか、不思議でした。

 最近、これに対する新説が出ています。溝口貞彦氏が「和歌詩歌源流考ー詩歌の起源をたずねて」の中で、これは紀貫之の創作で「土佐日記」の中で劇中劇として、仲麻呂の想いを感じて創作したというものです。

 ほんとうはどうなのでしょう。中学のころは、仲麻呂が唐に留学する折に宴会が開かれ、平城京から三笠山を見ながら詠んだ歌とばかり思っておりました。分かりやすい歌です。溝口氏のように後世のひとが詠んだとは、夢にも思いませんでした。しかも、紀貫之が。万葉集は、すべて万葉仮名で書かれています。土佐日記は、女性が書いたことになっていますので、基本的に仮名です。。万葉仮名ではありません。古今和歌集も万葉仮名では書かれていません。はたして、この歌は、万葉集の中に入っているのでしょうか。入っていないのでしょう。それゆえに溝口氏の説もなりたつのでしょう。いずれにしろ、早速、本屋に行って「万葉集」を買ってこようと思います。

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