2010年6月24日木曜日

読書術(15)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の15話目です。

 「焚書」の歴史が証明!「読書の力」

 民衆が自由に考えるようになれば、独裁の足元が揺らぐ。自由な思考を停止させるためには、自由な読書を禁じることだ。「考える力」を奪うには、本を奪い、読書を禁止しないと考えました。


 本を焼くシーンがとても印象的な映画として記憶に新しいのは、アメリカの作家レイ・ブラッドベリ原作の『華氏451度』です。

 消防隊員そっくりに見える姿は、じつは、「焚書隊員」でした。手にした消火器のような道具は、本を見つけたら、即座に焼却するための火炎放射器です。「本発見!」の報が入ると、「焚書隊員」は一斉に、消防車ならぬ「焚書車」に飛び乗って現場に急行し、家に踏み込んで本を焼いてしまいます。

 そして、一人の「焚書隊員」が、本を隠し持っていた女性と恋に落ちます。彼女によって、本の魅力に目覚めた男は、さあ・・・・。

 林の奥、雪の舞うなかで本を手に読書する「反逆者」たちの姿の、何という美しさ。ちなみに「華氏451度」というのは、紙が自然に発火する温度です。

 古くは中国の秦の始皇帝は、医薬・占い・農業関係以外の書物を焼きました。これを「焚書」といい、儒学者も生き埋めにしました。これを「坑儒」といいます。残酷なことをしたものです。

 池内紀氏は『本を焚く』(冬樹社ライブラリー)のなかで、
「万里の長城」を空間への壁とすると、焚書は時間への壁にあたる。ともに断固とした拒否である。異界の拒否、過去の拒否。書物は人間の記憶を代理する。それを消すとは記憶を消すこと。

 1日1ページでも本を読む人、読まない人
 焚書の歴史を逆の角度からとらえて、逆説的にいうならば、みずから読書を放棄し、読書に無関心でいる人間は、みずから思考を停止しようとしていることになります。自分を自分で奴隷化させているに等しい、ともいえそうです。

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