轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の13話目です。
ガリレオといえば望遠鏡を製作して、はじめて天体を観測した人です。望遠鏡は、1608年に、オランダのH・リッペルズハイなる人物が特許を申請したらしい。その翌年にガリレオが自作の望遠鏡で月を観測しました。しかし、この時代から、特許をとるということをやっていたわけです。これには、かないません。
望遠鏡が日本にもたらされたのは、1613(慶長18)年5月4日、肥前平戸に入港したイギリス船グローブ号の船長一行が、駿府に徳川家康を訪問したときの献上品のなかにあったのが最初といわれています。長さが一間ほどあったそうです。
そして間もなく、望遠鏡は井原西鶴(1642~93)の傑作『好色一代男』に登場します。主人公、伊之助が19歳のとき、屋根にのぼって望遠鏡で、女性の行水をのぞき見します。発明から、「のぞき見」まで、何という速さでしょうか。鉄砲もそうです。種子島に伝わって、アッという間に日本国中に普及しました。
辞典は「引く」のではなく、「読む」べきもの
轡田氏は辞典の大事さにもふれており、常に手元においています。
たとえば、【初恋】を引くと、少年少女時代の、うたかたと消えた恋
とあります。「初恋」の人と結婚した男の「初恋」なるものは、ほんものでなかったことになるのかしら?
轡田氏は、「闇」という文字に興味をもちます。「闇」という文字は、「門」のなかに、「音」という文字がうずくまっているのだろう?と、疑問を持ちます。
『字統』によると、
「門」は神社などの「廟」であり、囲いである。その前で人が、神に祈る。神はいつでも暗闇のなかに現れ、姿は見えない。人の祈りに応えて神は顕現してくださったが、姿は見えない。しかし、木の葉や草のそよぐ気配がする。かそけき「音」がして、神がそこにお出ましになったことを知るのである。
辞典を読むのは、まことに効率のいい読書であるとも言っています。
右、左を定義するのも難しい。「右手のある側を右という」では、「右とは右側のこと」と答えたに等しく、これでは定義したことにはならない。1972年版の『新明解国語辞典』では、「大部分の人がはしや金づちやペンなどを持つ方(の手)[からだの、心臓が有る方の反対側]、なんぞと、いたってヤボに答えていたけれども、新しい版では、スッキリ答えています。
みぎ【右】アナログ時計の文字盤に向った時に、一時から五時までの表示のある側。[「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致]とあります。辞典類にはじつにいろいろな内容のものがあります。「連想ゲーム式」の「考える力」をつける方法のためにも、図書館でこうした多彩な辞典、事典を活用しなければもったいない。
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