2010年6月12日土曜日

読書術(5)

 さて、轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の5話目です。
 右脳が、かっては神の声を語っていました。
 右脳に囁きかける神々の声は、どこに消えたのでしょうか?

 発掘された化石や骨から古代人のこころを読み取ることはできませんが、古代人の残した言葉が、文字、すなわち書物になってくれれば、それを解読することによって、こころを読むことが可能になります。
 3000年前の人間は、「意識」というものを持っていませんでした。人間のこころは、命令を下す「神」の部分と、それに従う「人間」の部分に二分されていました。これを「二分心」と呼びます。右半球が「神々」の側、左半球が「人間」の側です。右脳が「神々」の声、すなわち「命令」を聴いていました。
そもそも「神」とは、言語が進化してゆく過程のなかで生まれたものであり、ホモ・サピエンスが誕生して以来の、生命の進化の最も明瞭な証でした。神々は、だれかの想像から生まれた虚構ではなく、人間の意志のもたらしたものだったのです。そのようにして創造された神々は、人間の神経系、おそらく右の大脳半球を占め、そこに記憶されました。訓戒的、教訓的な経験をはっきりした言葉に変え、本人に何をすべきかを、「幻聴」という姿で「告げた」のです。
 しかし、「文字」の発明とそれが発展するにつれて、「神々」を沈黙させることになりました。文字は、文書となり書物になって、訓戒も教訓も命令も、いつでも読むことができるようになりました。その結果、右脳にささやきかける神々の言葉は消えてしまいました。神々は沈黙したのです。人間が文字と意識を得た代わりに神々は沈黙しました。
 ヨハネ伝福音書には、「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、記されています。
 文字は、神話と歴史との接点にあります。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をにないました。
太平洋戦争に敗北したあと、乱暴にも漢字廃止論まで飛び出し、あげくは、日本語を廃止してフランス語にしようなどという暴論まで登場したということです。そして、漢字は大幅に制限され、略字も増えました。「拉致」などは「拉」が使えないために「ら致」というコッケイな姿がそうとうの間、続きました。「英語のアルファベットはたったの二十六字で、それで何でも書けるのに、漢字は何千もあるからむずかしい、と言う人もあるが、こういう人はかならずバカである」(高島俊男『漢字と日本人』文春新書)に書いてあります。
 漢字は、たとえば、川でも漢字一文字でも書物といえるほどに風景を連想させてくれます。漢字は、想像力を刺激してくれます。つまり脳の働きを活性化してくれるのです。「頭を良くしてくれる」のです。読書とは、平仮名、カタカナと交流しながら、そうした効験あらたかな、たくさんの漢字を読むことなのです。

0 件のコメント: