今回は、轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』(三笠書房)から、標題について述べたいと思います。この本は、5章からなっています。
まず、1章は「多読は絶対、あなたを変える」で副題として「本を1000冊読むと、何が起こるのか?」がつけられています。
2章は「本を読めば読むほど、頭は良くなる~読書習慣がある人、ない人の埋められない差」
3章は、「できる人は、なぜ読書家なのか?~人間的魅力とその遊び心とは?」
4章は、「読む力は何を与えてくれるのか?~要約力、表現力、発想力を育てる方法」
5章は、「1000冊読破の贈り物~もし、本がなかったら世の中はどうなる?」
と、書かれています。
わたしの今回のブログは、この本の評論ではありません。この中から参考になるところ、面白いところを抜き取ったと考えてください。
1章は、轡田氏の読書体験を述べています。父の書架から面白そうな本を抜き出して「盗み読む力」を鍛えました。ここで、森鴎外の「ウィタ・セクスアリス」(ラテン語で「性欲的生活」の意)を読んだそうです。こども心に興味があったのでしょう。この本は、明治42年に発表するや、すぐに発禁処分を受けました。かれは、森鴎外のこの本を読んだのが、森鴎外との最初の出会いで、「渋江抽斎」にいたるまでに随分時間がかかったそうです。
そして、2009年は、2008年の「源氏物語1000年」につづいて、読書人にとって忙しい年となりました。大岡昇平、中島敦、太宰治、松本清張の「生誕100年」でした。大岡は3月6日、中島は5月5日、太宰は6月19日、松本は12月21日生まれです。俊才の生まれた年でした。生誕100年祭などがあり、出版業界にとっては、賑やかな年になりました。
「今読むべき本」「今しか読めない本」
おませな轡田少年は、D.H.ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を父の書架からこっそり持ち出して読みました。「貴族の夫人と森番の男の、肉体の関係を経て魂の解放にいたるさまを描いた小説は、少年にはてんで理解できなかったけれど、雨の森の激しい情事は、野の花の匂うような、不思議に美しい印象が残っている」と書いています。いま、この小説は、どこでも、いつでも、だれでも抵抗なく読めますが、「ワイセツ文書」として発禁禁止とされた時に、密に読むことの興奮は、もう二度とできないと書いています。「それはただ一度限りの、永遠にかえらない少年の日の、輝くような、懐かしい盗み読みだった」。
轡田少年は、このときよりサッカーへとのめり込んでゆきます。かれは、早稲田大学経済学科に入り、早稲田大学サッカー部の全盛時代を築きました。かれは、「ポケット・ミステリ」と比較的安易な本を読んでいましたが、のちにイレブンの仲間から送られてきた回顧録を読んで、愕然とします。その友人は、あの激しい練習をしながら、ケインズ経済学をしっかり読んでいたのです。その友人とは、今でも愉快に飲んで語り合いますが、現役ジャーナリストの轡田氏がいつもタジタジになるほどと書いています。読むべきときに読んだ本は、血となり肉となり、いつでも取り出せるようです。
以下、明日へ。
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