轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の11話目です。
何についても、いつだって、「なぜ?」と問いかけつづければ、もうそれだけで「文章」になります。「なぜ?」がなければ文章でない、断言したくなるほど「おいしいカレーライスを食べた」という文章だって、そのカレーがおいしかったのは「なぜ?」なのだろうか、と問いかけなければならないのです。
「読む人」「書く人」は、カレーライスもぼんやりとは食えません。
「短いことば」のほうが気持ちは伝わる
人間の表現はすべて「要約」なのです。会話のすべては、考えたことの要約をしゃべっているのにすぎません。要約ができていないと、ダラダラと要領をえない発言になってしまいます。
どんな大きなニュースだって、ほんの何十秒かで、批評しなければなりません。
テレビを見ていたり、本や新聞を読んでいるとき、ときに、コメンテーターを演じてみたらいかがかと提案しています。要約して、短く語って見るのです。書く前に「座右の書」を読みます。特に漢字の多い本がいい。脳の刺激には絶好なのです。
となれば、どうしたって古典ということになります。なかでも漢字が多いのは、中国の詩です。
松下問童子
言師採薬去
只在此山中
雲深不知処
松下 童子に問えば
言う 師は薬を採りに去ると
只だ此の山中に在らんも
雲深くして処を知らず
漢字の一つひとつが何かを物語ってくれるのです。蛇足ながら、この唐の詩人、賈島が詩を作っていた時に「敲く」にしようか「推す」にしようか苦吟しながら歩いていたら、位の高い役人が、詩人の韓愈の行列に突き当ってしまいました。この故事から、文章を練ることを「推敲」というようになったそうです。
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