ユニークな役者であり、俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長で、ハモニカの奏者であった小沢昭一氏が昨年12月10日に亡くなりました。享年83歳でした。
わたしは、ラジオ番組の小沢昭一的こころを聞きながら、車の運転をしたものです。大俳優というわけではありませんが、永六輔と並んでユニークで器用な人物だと思います。
13年2月号の文藝春秋から、「小沢昭一ボケ防止 いつも心に鼻歌を」から、記事をピックアップしてみます。
仲間もみんないなくなってまいりました。去年は渥美清さん、フランキー堺さん。みんな同級でございまして、『ウルトラマン』隊長の小林昭二というのもいなくなりまして、仲代達矢のお上さんの宮崎恭子というのもなくなりました。
亡くなった方と比べてみて、やっぱりあいつらは鼻歌歌っていなかったんではなかろうかなという気もするんでございます。
昭和4年の橋でございますよ。渡った。ああー、これと同い年か、人間といいますものは自分のことといいますのものはわかりませんですなあ。
『コンサイス』、あの頃は「オーケー」なんて言葉も流行ったんでございます。今「オーケー」なんて言葉使うのはオジンに決まってましてね、若い人は絶対「オーケー」なんて言いません。
「オーケー」という言葉もあたくしと同じ年で、当時としては、ナウい言葉でした。
がんとエイズとアルツハイマー、この三つを克服することが、二十一世紀を迎えるにあたって人類的な大命題であるというふうにいわれております。
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